歴史上の先住民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/19 06:47 UTC 版)
「コロラド州の歴史」の記事における「歴史上の先住民族」の解説
古代プエブロ人:紀元前1200年から政歴1150年頃にコロラド高原の渓谷や台地に住んだ多様な民族集団。後に南東のニューメキシコ州北部リオ・グランデ渓谷に移住した。 アパッチ族:18世紀にグレートプレーンズに居住し続いて南方のテキサス州、ニューメキシコ州およびアリゾナ州に移り住んだアサバスカン語を話す種族。グレートプレーンズに空いた所には、東部からアラパホ族やシャイアン族が入った。 アラパホ族:19世紀遅くにロッキー山脈の麓に東部から移住してきて、コロラド台地とコロラド東部平原に定着したアルゴンキン語を話す種族。コロラド戦争の後の1865年にコロラドから完全に追い出された。 シャイアン族:アラパホ族との関係が密接なアルゴンキン語を話す種族。アラパホ族と同様、18世紀にロッキー山脈の麓に東部から移住してきた。しばしばアラパホ族の中に混じって生活した。やはり1860年代にコロラドから完全に追い出された。 コマンチェ族:コロラド南東部のハイ・プレーンズに住んだナミック語を話す種族。ショショーニ族との関係が密接であり、スペイン人から馬を獲得し、グレートプレーンズ南部を徘徊した。コマンチェ族はインディアン準州に移住させられた。 ショショーニ族:19世紀遅くまでコロラド州の北境界近く、特にヤンパ川渓谷など山間の渓谷に住んだナミック語を話す種族。ノースパークやブラウンズパークが含まれた。 ユト族:何世紀もロッキー山脈南部と西部に住んだナミック語を話す種族。アラパホ族やシャイアン族としばしば衝突し、これら種族が山脈に入ってくることに抵抗した。1880年代まで、大陸分水界から西のコロラドほとんど全体を支配し、1879年の銀採掘ブームの後にその状況が弱まった。1880年代にユト戦争で白人開拓者と衝突した後、コロラド州南西部の小さな居留地2箇所を除き、ほとんど全てがユタ州に移住させられた。
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