歴史上の創成期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 08:58 UTC 版)
ボイオーティアはコリントス地峡の北側に位置し、東南のアッティカ、北方のテッサリア、南方のペロポネソス半島に囲まれた形で広がっているために、政治的に大変重要な場所だった。辺境の住民たちの戦略的強さと、広大な地域の中のコミュニケーションの容易さ故に戦略的拠点として度々戦火に見舞われたボイオーティア諸国は、外的に対抗するために「ボイオーティア連合」によって連合制をとっていた。一方で、良港はなく、それで海運の発展を遅らせた。ボイオーティア人の中には、ピンダロス、ヘシオドス、エパメイノンダス、ペロピダス、プルタルコスのような偉人もいたが、ことわざでは「鈍い」と言われていた。おそらくアテナイの、近隣諸国に対する文化的優越感がそう言わせたのであろう。 現在のオロポス (Oropos) 周辺にあったと推定される都市グライア (Graea) (Γραῖα)は、ギリシアで最も古い都市であると伝えられており、地名も「古い」「古代」という意味がある。何人かの学者は、ギリシャ神話に登場するギリシャ人の祖「グライコス」 (Graecus) (Γραικός)と関係があるとしている。アリストテレスはこの町は大洪水前に建設されたと述べている。都市グライアの起源に関する同様の主張は、紀元前267年から紀元前263年に書かれた、古代の大理石の碑文「パロスの年代記」 (Parian Chronicle) にもある。この年代記は1687年に発見され、現在はオックスフォードとパロス島にある。さらにこの古代都市について、ホメロス、パウサニアス、トゥキディデスの著書にも記述がある。
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