歴史上の合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:37 UTC 版)
占星術師たちは、合と歴史的な変事を結び付けてきた。こうした考えは『大会合の書』を著したアブー・マーシャルらイスラム世界の占星術師たちによって発展させられたもので、12世紀ルネサンスを通じて西洋占星術にも導入された。合は周期性を持つため、年代の整理に用いようとするものも現れた(占星年代学)。また、惑星多数でなくても金星と木星の合は吉兆とされ、その時に生まれた者を「サーヒブ・キラーン(直訳では「合の持ち主」、意訳で「天運の主」など)」と呼ばれ、幸運の持ち主とされて、オスマン帝国などでは(実際にその時に生まれたのかはさておき)格上の存在のない世界の王の称号とされ、オスマン帝国の全盛期を築いたスレイマン1世は、歴史上の大帝国の君主だったチンギス・ハンやティムールと共にこの称号の持ち主とされた。歴史上、よく知られている合や社会的な騒擾を惹き起こした合としては、以下の例を挙げることが出来る。 紀元前7年 - 木星、土星、火星の三重合聖書に記述されているベツレヘムの星はこの三重合だったとする解釈がしばしばなされている。しかしこの現象での木星と土星の角距離は約1度で月の視直径の2倍に近く、極端に近い接近ではない。木星による土星の掩蔽は有史以降起こっていない。 この説の提唱者はしばしばヨハネス・ケプラーとされるが、実際にケプラーが推測したのは、木星と土星のグレートコンジャンクションがあった紀元前7年は、処女懐胎の年にふさわしいということだけで、合とベツレヘムの星を同一視したわけではなかった。 1186年 - 天秤宮に全ての惑星が集まった。トレドのヨハネという人物が、「トレドの書簡」(1179年)で、この年に世界的な大災害が起こり、特に9月には大地震が起こると予言したため、大騒ぎになった。実際には、特筆すべき大災害は起こらなかった。。 1345年11月20日 - 宝瓶宮で木星、火星、土星の合が起こる。1348年にパリ大学医学部は、1347年から流行していたペストの原因は、この合にあったという公式声明を出した。 1484年 - 天蠍宮で土星、木星、火星の三重合が起こった。ヨハン・リヒテンベルガーの『予言集』(1488年)では、この年に教会の刷新者として現れることになる偽預言者が生まれたと述べられていた。これは後にカトリック側からもルター派からも、マルティン・ルターのこととされた(カトリックは「偽預言者」に、ルター派は「刷新者」に、それぞれ力点を置いている)。ルターの生年は1483年だが、当時はこの合にあわせるために、占星術師たちはルターの生年をしばしばずらしていた。 1524年2月 - 双魚宮に多くの星が集まり、幾つもの合が起こった。1499年の暦書で、ヨハネス・シュテフラー(Johannes Stöffler)が、この年に第2のノアの大洪水が起こると予言し、大きな騒ぎになった。 1584年 - 双魚宮で木星と土星の合が起こった。占星術師キュプリアヌス・レオウィティウスは、『20年間の予言』(1564年)において、この合を理由のひとつとする形で、世界が終わると予言し、当時非常に話題になった。 1962年2月 - 8つの惑星の会合インドでは大災厄が起こるとされてパニックになり、ネルー首相が鎮静化のための声明を出す事態にまでなった。
※この「歴史上の合」の解説は、「合 (天文)」の解説の一部です。
「歴史上の合」を含む「合 (天文)」の記事については、「合 (天文)」の概要を参照ください。
- 歴史上の合のページへのリンク