歴史上の医薬分業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 07:17 UTC 版)
西洋では、国王などの権力者などが、陰謀に加担する医師によって毒殺されることを恐れていた。これを防ぐために神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世が、病気を診察するあるいは死亡診断書を書く者(医師)と、薬を厳しく管理する者(薬剤師)を分けたことに由来する。明文化されたのは1240年に制定された5ヵ条の法律であり、医師と薬剤師の人的、物理的分離、医師が薬局を所有することの禁止などの条項が定められた。また薬剤師が専売的に薬の供給を司ることで東洋からの生薬の供給や税増収への効果もあったとされる。 医師と薬剤師の役割を分け薬局と病院の経営を分けることで、不適切薬を排除、不正の防止、過剰投薬等を抑制、二重チェック等の実施で薬物治療が社会と個人にとってより有益になるようにしたのがこの医薬分業の仕組みである。 医薬分業制度により、欧州の薬剤師は医薬品の独占的な販売権や調剤権を国家から認められることと引き換えに、 いつでも、どこでも必要な薬を安定的に国民に供給する責任。 薬の副作用、相互作用、過剰投与などの危険から国民を保護。 薬についての完全な把握。 薬の厳格な管理。 よりよい薬の研究、開発、製造。 ニセ薬の排除。 規格書(薬局方)の作成と開示。 価格の不当な高騰の抑制。 などの役割を果たしてきた。
※この「歴史上の医薬分業」の解説は、「医薬分業」の解説の一部です。
「歴史上の医薬分業」を含む「医薬分業」の記事については、「医薬分業」の概要を参照ください。
- 歴史上の医薬分業のページへのリンク