旗本奴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 17:16 UTC 版)
旗本奴(はたもとやっこ)は、江戸時代前期(17世紀)の江戸に存在した、旗本の青年武士やその奉公人、およびその集団、かぶき者である[1][2][3][4]。派手な異装をして徒党を組み、無頼をはたらいた[1][2][3][4]。代表的な旗本奴は、水野十郎左衛門(水野成之)[4]。代表的な団体が6つあったことからそれらを「六方組」(ろっぽうぐみ)とよび、旗本奴を六方(ろっぽう)とも呼ぶ[5]。
- ^ a b c d 旗本奴、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b 旗本奴、百科事典マイペディア、コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c 旗本奴、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c d 旗本奴、大辞林 第三版、コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 大辞林 第三版『六方・六法』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『町奴』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典『大鳥逸平』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b 朝日日本歴史人物事典『水野十郎左衛門』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 成貞も相当な傾奇者であり、初期の旗本奴であったとされる。
- ^ 朝日日本歴史人物事典『加々爪直澄』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c デジタル大辞泉『六方組』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b 世界大百科事典 第2版『唐犬権兵衛』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉『白柄組』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 大辞林 第三版『白柄組』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『極付幡随長兵衛』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『佐々木累』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 大辞林 第三版『六方俳諧』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『中山勘解由』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『山中源左衛門』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『三浦小次郎』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c デジタル大辞泉『六方詞』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c d 大辞林 第三版『六方詞』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e 柏原、p.99-101.
旗本奴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 09:22 UTC 版)
「沖田総司編」で描写される。徳川直参旗本の子息で、無頼化している。戦国色濃厚で狼藉を働き、霓鬼によって次々と斬殺されている。
※この「旗本奴」の解説は、「衛府の七忍」の解説の一部です。
「旗本奴」を含む「衛府の七忍」の記事については、「衛府の七忍」の概要を参照ください。
旗本奴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 10:18 UTC 版)
息子の成之(水野十郎左衛門)は旗本奴として著名であるが、父親の成貞も傾奇者・初期の旗本奴として行動していた、とされている。奇抜な髪型をして髑髏の模様の服を着用し、刀の柄を棕梠で巻いたもので揃えた仲間達と街を闊歩した、とされている。のちに正室となる萬の方はその姿に惚れ込んでしまい、ゆえに婚儀がまとまった、とする巷説もある。
※この「旗本奴」の解説は、「水野成貞」の解説の一部です。
「旗本奴」を含む「水野成貞」の記事については、「水野成貞」の概要を参照ください。
「旗本奴」の例文・使い方・用例・文例
- 旗本奴のページへのリンク