旗本南条氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 16:55 UTC 版)
三男の宗俊(源八、与兵衛)は、母(水野氏)が千姫に仕えていた縁から徳川家に召し出され、徳川綱重(甲府徳川家・甲府藩)付きの家臣となり、藩の書院番頭まで上った。宗俊の長男の宗益が家を継ぎ、徳川家宣が将軍後継者として江戸城西の丸に入ると付帯して幕臣となり、西の丸小納戸を務めた。三男の宗俊(源八、与兵衛)は、母(水野氏)が千姫に仕えていた縁から徳川家に召し出され、徳川綱重(甲府徳川家・甲府藩)付きの家臣となり、書院番頭まで上った。宗俊の二男の俊宜は水野姓を称して同じく甲府徳川家に仕え、三男の元鋪は古河藩土井家に仕え、四男は旗本立花氏に養子に入った(立花種秀)。 以降、南条家は600石の直参旗本として続いた。。
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