旗本大沢家と堀江領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 06:59 UTC 版)
第10代・基宿は、藤原氏の血脈に連なる名門であるとともに、母が皇族木寺宮の血を引くことから、天正16年(1588年)に従五位下・侍従に叙任された。関ヶ原の戦い後は敷知郡堀江村など6か村で1550石を安堵されている。江戸幕府と朝廷との折衝に当たり、吉良義弥とともに「高家」の職務を務めた最初の人物とみなされている。慶長14年(1609年)には従四位下・右近衛少将、のち近衛権中将に昇叙した。更に基宿の子・基定は公家の持明院家の婿養子として同家を相続している。 以後大沢家は高家として代々続いた。慶長15年(1610年)、基宿の子の基重が1000石を得て、基宿の死後はその遺領を合わせて2550石余となった。宝永2年(1705年)、基隆の代にも1000石が加増された。この際あらたに堀江領となった高塚村(現:浜松市南区高塚町)と隣接する浜松藩領との境界に置かれた領界石が現在でも残っている。
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