歴史と作曲者の同定とは? わかりやすく解説

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歴史と作曲者の同定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/11 23:54 UTC 版)

交響曲K.45a」の記事における「歴史と作曲者の同定」の解説

1769年1月モーツァルト一家ザルツブルクからウィーンへと向かう旅の途中様々な場所に立ち寄る中で北オーストリアのランバッハ寺院英語版)に足を運んだバイエルンオーストリア修道院習わしとして、ランバッハ寺院旅行者部屋食事提供し小さなチャペル礼拝余興のために整備していた。この寄り道に関して一家書簡触れられておらず、修道院残され2つ草稿から窺い知ることができるのみである。 この2つ草稿20世紀初頭に写譜自筆譜ではない)の形でランバッハ寺院文書保管庫から発見されたものであり、おそらくモーツァルト一家施され歓待対す返礼として贈ったものと思われるそのうち1つ『旧ランバッハ』は『Del Sigre: Wolfgango Mozart. Dono Authoris 4.ta Jan. [1]769』と題されており、一方で同日日付となっているもう1作の『新ランバッハ』と呼ばれる交響曲レオポルト作品とされるモーツァルト研究者アルフレート・アインシュタインは『旧ランバッハ交響曲』は1767年から1768年ウィーン滞在中に書かれたものと推測し、K.45aという番号与えてケッヘル目録組み入れたこの分析はケッヘル目録以降の版にも引き継がれることになった目録のこれ以前の版では、本作品についてはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社カタログインキピット書かれているということ以外に知られておらず、K. Anh.221という番号割り振られていた。 1964年、アンナ・アマリエ・アーベルト(ドイツ語版)は2つのランバッハ交響曲表紙が偶然入れ替わってしまったという、新しい仮説提唱した。彼女の理論は両作品丹念に検討し、また同時期にレオポルトヴォルフガング作曲した知られている他の交響曲比較した上で導かれたものだった。アーベルトの下した結論では『旧ランバッハ』がより「古風な様式」であり、美しさの点からも「良さ少ない」交響曲であるため、レオポルトこそが才能感じられないこの楽曲作曲者であるに違いないということになったまた、『旧ランバッハ』の第1楽章レオポルトの他の交響曲第1楽章多く形式的様式的な類似点有しており、それは『新ランバッハ』交響曲第1楽章ヴォルフガングの他の交響曲第1楽章比較した場合も同様であった加えて、『旧ランバッハ』第1楽章には主題がひとつしかなく、2小節フレーズ多用されているという点からもレオポルト作品であることが示唆され一方でより連続性があり旋律発想多様な『新ランバッハ』はヴォルフガング作品であろう考えられた。これ以降、『新ランバッハ』交響曲ヴォルフガング作品として出版されモーツァルト交響曲全集録音にも組み入れられた。 しかし、ザスローは以下の理由から元々考えられていた作曲者の方が正しいとする説を提唱した。 『新ランバッハ』交響曲のより連続的な旋律発想バロック時代後期にはよく見られ特徴であり、むしろ2小節フレーズからなる『旧ランバッハ』は当時としてはより進んだ様式であった2つ原稿ザルツブルク写譜屋であるエストリンガー(Estlinger)による複製であり、このため両曲はモーツァルト一家1767年9月ウィーンへ発つ前に作曲されていたはずであることがわかる。また、これらの曲の作曲年代早ければ早いほど、ヴォルフガングが「古風な様式」で作曲したという点についてよ理解しやすくなる一家の大旅行通じてヴォルフガング多様な音楽様式吸収しており、また彼自身どのような様式にでも作曲できると主張している。 『旧ランバッハ』交響曲に「良さ少ない」、「才能感じられない」からという理由レオポルト作品であると決めつけるのは、彼の作曲家としての能力過小評価するのであるヴォルフガング同時期に書いた交響曲である『第6番』、『第7番』および『第8番』は全てウィーン書かれたものではないため、この交響曲ウィーン作曲されたかどうかは疑わしい衒学的レオポルトが、ザルツブルク写譜屋によって表紙が偶然取り違えられるという間違い見過ごし、これをいずれの時点でも訂正しないまま楽曲演奏会演奏して、さらにランバッハ寺院寄贈するとは考えにくい。 1767年レオポルトヴォルフガング初期交響曲6曲のコピー作成しドナウエッシンゲンのヴェンゼル公(Wenzel)へ送っている。『旧ランバッハ』もおそらくこの中含まれていたと考えられる1982年2月レオポルトヴォルフガングの姉のナンネルおよびその他の人物筆跡による『旧ランバッハ』のオリジナルパート譜が、ミュンヘンにあるバイエルン州立図書館から発見された。レオポルトはその表紙ヴォルフガングの名前と並べて「à la Haye 1766」と記していた。これは『旧ランバッハ』がデン・ハーグ滞在していた際にヴォルフガングによって書かれ楽曲であることを示唆しており、おそらく1766年3月11日行われたウィレム5世オランダ総督就任を祝うためであった予想されるその後一家交響曲楽譜携えて旅を続けヴォルフガングはいくつかの修正を、特に内声に関して施したのである

※この「歴史と作曲者の同定」の解説は、「交響曲K.45a」の解説の一部です。
「歴史と作曲者の同定」を含む「交響曲K.45a」の記事については、「交響曲K.45a」の概要を参照ください。

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