歴史と伝統行事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/02 05:13 UTC 版)
歴史的な痕跡は旧石器時代にこの地で人が生活していたことを裏付けている。プロヴァンは立地条件の良さの恩恵を受けており、古代にはローマ軍によって利用された。 さらに伝説を信じるなら、プロヴァンの市名はローマの将軍プロブスのブドウの木(プロビ・ウィヌム, Probi vinum)に由来するという。プロブスは237年頃にドミティアヌスが禁止していたにもかかわらず、ブドウの栽培を許したとされる。 485年にはソワソンでの勝利の後で、クロヴィス1世がプロヴァンにあったローマ軍の城塞を占領した。9世紀初頭からカール大帝はこの地に Missus dominicusを派遣したことが明らかになっている。また独自の貨幣を鋳造していたことも明らかになっている。 プロヴァンは中世にシャンパーニュ伯の保護を受けていたときには、シャンパーニュ大市を開催する都市のひとつだった。この時期は確かにプロヴァンが歴史に大きな足跡を残した時期であったといえる。 現在、伝統的な北仏の古物市の日(11月11日)には、プロヴァンでも毎年下町全体で開催されているが、昔日の面影はない。この伝統的な古物市は聖マルティヌスの市(la foire de la Saint-Martin ; トゥールの聖マルティヌスは11月11日の守護聖人)だったもので、季節限定で雇われる農業労働者にとっての冬季の雇い入れ時期の開始を告げるものだった。この市は農業的な伝統を持つ多くの町で継続されている。 中世の祭りを受け継いでいる収穫祭もまた、プロヴァン地方の文化的豊かさを教えてくれる。それは8月の最終日曜日に行われている。現在でこそとうもろこし、甜菜、菜種などの比重も大きくなってはいるが、古くはブリー=シャンパーニュ地方の重要な生産物であった小麦の収穫が終わったことを示していた。祭りで使う小麦の花車 (chars) は、小麦で飾られていて、収穫を想起させるデザインになっている。
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