歴史と伝聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 09:02 UTC 版)
一説では、1960年代ごろに、鉄道員がトラックの修理のために小型の乗り物を用いたのを覚えていた者が、1980年代初期にノーリーを製造したという。1980年代のカンボジアは、戦争などの影響で爆弾と地雷が至る所に残り、他の移動手段は破壊されて不足している上に、道路も破壊されていたため、ノーリーは急患や食糧を運ぶのに重宝された。初期のノーリーはエンジンはまだ無く、ある運転手は棒でこいでいたが、最大40名の乗客や、8頭の牛、あるいは3トンの米を運んだことがあるという。このノーリーにガソリンエンジンが付け加わったのは2,3年後だった。 1990年代になると、ノーリーはバッタンバン - プノンペン間、プノンペン - シアヌークビル間を往来していたという。一部の区間では、1993年 - 1996年頃にその地方の道路事情が悪かったことがあり、ノーリーは輸送手段として重宝したという。また、列車が脱線し運休した際も活躍したという。時々、企業がノーリーと運転手を雇うこともあったという。 ノーリーの運転手はピーク時にはカンボジア国内に数千人いたが、のちに幾つかの地方の短区間に追いやられたり、トラックや公共バス、乗り合いバイクのギャップを埋めるために数百人が観光客相手に残った。バッタンバン周辺のノーリーはよく旅行者に用いられる。 ノーリーの安全性について、30年間ノーリーに従事した運転手は、積み荷のヤギが落ちた程度で、今までにひどい事故に遭ったことは無いと言う。また、近年、外国人がノーリーによく乗りにきて、台座が壊れないかと心配する人もあるが、ノーリーには8頭の牛が乗車できるとも語った。ある乗客は、(他の交通手段である)モーターバイクタクシーでは早すぎて安心して寝ることはできないが、ノーリーは座って寝ることができると語った。一方、カンボジアの公共事業・運輸省の高官トイ・チャンコサルは、ノーリーは危険で粗末で、21世紀のハイテクの時代にはそぐわないという意見を述べている。 鉄道リハビリプロジェクトの進展に伴って、こうしたバンブートレインの運行者には補償金が支払われ、道路交通への移転促進策が採られている。
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