歴史と作者
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ライプツィヒの楽譜出版社であるブライトコプフ・ウント・ヘルテルは、1799年にモーツァルトの全作品の出版を試みた。ブライトコプフ社はモーツァルト作品を姉のアンナ・マリアや妻のコンスタンツェをはじめ、音楽家、写譜屋、他の出版社などから収集した。その中にはイ短調の『交響曲 K. 16』が含まれていた。ブライトコプフ社の手書きの目録にはこの交響曲から4小節のインキピットが掲載されており、提供者はハンブルクの音楽商であるヨハン・クリストフ・ヴェストファールであるとされている。ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは彼のケッヘル目録の中でこの曲が散逸したものと考え、付録としてアンハング番号『K. Anh. 220』を割り当てた。 モーツァルト研究者のアルフレート・アインシュタインはケッヘル目録を改訂する中で、インキピットと現存するモーツァルトの交響曲の第1作目である第1番 K. 16を基に、この交響曲は1765年のロンドンで書かれたものではないかという説を提唱した。彼は『K. 16a』という番号を付した上で、現存するわずか開始数小節だけであっても初期作品と容易に判別し得ると述べた。ケッヘル目録の第6版はそのままこれを踏襲した。 このイ短調の交響曲はデンマークのオーデンセにある地方交響楽団の保管庫から、自筆譜ではなく複数の写譜者による手書きの写譜として1982年に発見された。表紙に書かれた注釈によれば、この交響曲は遅くとも1793年にはデンマークのコレギウム・ムジクムが所有するところとなり、パート譜の紙面に入れられた透かしからは1779年のものであることがわかった。モーツァルト家と関わりのあった写譜屋にはこの交響曲の写しを作成できる者はいなかった。1780年代、ヴェストファールはモーツァルトの交響曲の真作と、K. 16aやK. Anh. C 11.08のような由来の「疑わしい」作品を所有していた。おそらく彼はK. 16aを他の作品と共にデンマーク・コレギウム・ムジクムへと売却したのだろう。 モーツァルト研究者のヴォルフガング・プラート(英語版)は現在『オーデンセ』として知られるこの交響曲を出版し、専門家が集う学術シンポジウムの議題として挙げた。エンシェント室内管弦楽団による録音が行われ、2000年に「真贋の疑わしい作品」として新モーツァルト全集に収録された。というのもまだ議論が完了しておらず、とりわけモーツァルトではない真の作者が決定されていなかったからである。 ニール・ザスローはこの交響曲がおそらく1765年以降に作曲されたと考えられ、1760年代と1770年代のモーツァルトの交響曲は様式が似通っていて確たる資料がなければ正確な年代決定が不可能であり、そしてK. 16aには他のどのモーツァルト作品とも様式的に異なる個所が散見されると述べている。ヴォルフガング・ゲルストホーファーはモーツァルトの初期交響曲に関する論評の中で、多くの専門家がK. 16aをモーツァルトの真作と考えていないことを理由にこの曲を無視した。フォルカー・シェルリースが述べたところによれば、モーツァルトの専門家らは長期にわたる集中的な議論の末に、『オーデンセ』交響曲は流儀と作風の両面からモーツァルト作品とみなすことができないと合意に至ったという。
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