歴史と儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 06:15 UTC 版)
アドベントをどのように守るかを定めた、現存する中で最古の文献は、トゥールの司教ペルペトゥスによる、11月11日からクリスマスまで週3回の断食を命じたものである。これはもともと、東方教会で、1月6日の公現祭(降誕日でもある)に洗礼を受ける予定の者が、その日のために、断食と、悔改めを行う準備期間であったためで、それが、西方教会においてクリスマス前の習慣となったのである。断食と悔い改めの時期であるため、カトリック、聖公会、ルター派では、祭服や祭壇布に悔い改めを意味する紫が使われる。また、第二主日から第四主日まで、栄光の歌であるグロリアを歌わない。アドベントの終了は12月24日の日没後で、かつてカトリックでは、この日を大斎とし、食物の摂取制限があった。ただし、第三主日だけは例外で、この日にはバラ色の祭服が用いられ、アドベント中で唯一オルガン演奏が許される。このバラ色の主日は、四旬節第四主日のバラの主日と同じ意味を持つ。 カトリック百科事典には、次のような記述もある。 380年のサラゴサの教会会議の決議の第4カノン(条文)では、こういう準備期間に関して、12月17日から公現祭まで、教会に必ず出席するべしとある。 他にも司教により、クリスマス前の準備期間が提唱されているが、法制化はされていない。ガリアのマソンで581年に開かれた会議では、9番目の条文で、11月11日からクリスマスまでで、四旬節に倣い、月、水、金に生贄を捧げるようにとある。 650年にスペインで、5回の日曜日のアドベントが祝われた。何度かの決議により、11月11日から、あるいは15日から、早いところでは秋分からの断食が法制化された。他の決議ではこの時期の結婚が禁止された。ギリシア正教会でもアドベントが遵守されていると、聖テオドルス (Theodore the Studite) の言にある。いつのことであるかは触れられていないが、8世紀に、礼拝としてではなく、断食と禁酒の時期としてアドベントが祝われたのがわかる。11月15日からクリスマスまでの時期も、アラン人の族長ゴール(英語版)によれば、のちに7日に短縮されている。しかしルーシ人の合議会ではかつての規則にのっとり、1720年に断食は11月14日からとされた。アンブロジウス派やモサラベの人々は、礼拝としてアドベントを祝うことはしなかったが、断食は行っていた。
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