歴史と作例とは? わかりやすく解説

歴史と作例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 14:14 UTC 版)

鳥羽絵」の記事における「歴史と作例」の解説

平安時代すでに「鳥獣人物戯画」を持つ日本世界的にみても古い段階から戯画伝統をもつ国といえるこうした流れは、浮世絵なかにも見出すことができる。リアルな表現用いて笑い誘えば、すでに今日でいう戯画漫画に近いものとなる。漫画という言葉自体北尾政演絵本四季交加』の序に使ったものに始まるとされており、自作黄表紙滑稽な「京伝鼻」を描いた山東京伝挿絵なども「漫画」にふくめてもよいかもしれない他方漫画という表題付けた葛飾北斎の「北斎漫画」は必ずしも全て戯画ではないのにもかかわらず卓抜洒脱な人物表現によって、当時耳新しい言葉であったはずの「漫画」も人びとにとって身近なものになったそれまでは、やや滑稽な略筆体の作品鳥羽絵称しており、大坂松屋耳鳥斎による『絵本也空』などが知られていた。耳鳥斎上方活躍し安永9年1780年)の『絵本也空』、天明7年1787年)の『画話耳鳥斎』、享和3年1803年)の『歳時滅法戒』、文化2年1805年)の『絵本図加比』などはいずれ省略した筆使い描いたユーモラスな人物画などで知られる歌川広重もやはり戯画センス持ち主であった広重に先だって十返舎一九による略筆の絵があり、広重の「東海道五十三次」は一九の『東海道中膝栗毛』から大きな刺激受けている。広重作「赤坂」は、「東海道五十三次」のなかでも特に戯画的な趣の濃い作品といわれている。また保永堂版「東海道五十三次」のうち「御油」では、宿の飯盛り女旅客腕ずく引っ張り込むころなど滑稽の風がみえる。広重は後に実際に狂画道中膝栗毛」を描き晩年まで戯画的な作品みられる広重門弟三代歌川広重また、風景画ばかりでなく、たびたび戯画描いており、濃艶な美人画知られる渓斎英泉にも同様の作品がみられた。 こうしたなかにあって特筆すべき歌川国芳で、例え落書き真似て人物描いた「荷宝蔵壁のむだ書」のユニークな書き戯画や、「人あつまって人になる」のような多く人間絡み固まっているのが人の顔に見えてくる感じがする1枚がある。まるで、ジュゼッペ・アルチンボルド着想をどこかで見たのかと思うようシュルレアリスム風の戯画シリーズさえ存在する。ただし、これらには社会世相に対して鋭い諷刺的精神があったわけではなかった。

※この「歴史と作例」の解説は、「鳥羽絵」の解説の一部です。
「歴史と作例」を含む「鳥羽絵」の記事については、「鳥羽絵」の概要を参照ください。

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