歯科医制度
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歯科医の場合は、歯科軍医ではなく、陸軍では歯科医将校、海軍では歯科医科士官と称するのが正しい。 歯科軍医とは俗称である。歯科軍医では、軍医にして歯科を標榜する者という意味になるので不正確である。 歯科医将校制度の発足は、長年にわたり歯科界の悲願であった。日清戦争の時に、歯科界は歯科医将校制度発足を訴えかけたが、軍当局の反応はなかった。 日本の陸海軍に於ける歯科医の採用は、日露戦争をきっかけとして、部内限り高等官待遇という嘱託歯科医師制度から始まった。1905年(明治38年)、第三軍の軍医部長であった、落合泰蔵軍医監の提言により、各軍司令部に歯科医が一名ずつ採用された。海軍においては、歯科を専門としていた原田朴哉(ぼくさい)軍医小監の提言で五名の歯科医師が「部内限り大尉相当待遇」で採用され、艦隊勤務をしながら将兵の歯科診療に従事した。 日露戦後、陸海軍病院で嘱託歯科医師の採用が始まり、練習艦隊において嘱託歯科医師が乗艦するのが通例になったが、歯科医将校制度発足にはなかなか至らなかった。 日中戦争が始まり、多くの若い歯科医師が予備役将校として、あるいは下士官兵として出征するに至り、歯科界は何度も歯科医将校制度発足の請願書を帝国議会に提出し、その都度、賛成多数で可決され、軍当局の検討課題とされたが、なかなか実現の兆しはなかった。 ようやく陸軍の歯科医将校制度が発足したのは、1940年(昭和15年)3月30日、勅令第213号による。この日、昭和12年勅令第12号の陸軍武官官等表が改正され、陸軍歯科医少将以下、陸軍歯科医少尉までの階級が、衛生部に新たに加えられた。現役の歯科医将校の採用は軍医と同じである。予備役の歯科医将校の補充は、甲種幹部候補生からの採用に限られ、軍医予備員制度は歯科には無かった。二年現役制度は存在した。 さらに、すでに兵科の予備役将校にして、歯科医師免許を有する者は、定員が空き次第、歯科医将校に転官する道もあった。 現役歯科医将校の一期生は昭和十六年二月、歯科医専の三年生から五名の委託生を採用した。同日、二年生と一年生からも五名ずつが採用になり、それぞれ二期生と三期生になった。 現役歯科医将校の内訳は一期・5名、2期・5名(内戦死者1名)、3期・5名、4期・8名(内戦死者1名)5期・7名 以上、現役の歯科医将校は、総員30名と非常に少ない。 終戦時の階級は、歯科医大尉10名・歯科医中尉8名・歯科医少尉11名、別に歯科医見習士官として7名がいた。 一方、予備役陸軍歯科医将校の総数は、終戦時の階級で分類すると予備役陸軍歯科医大尉18名、予備役陸軍歯科医中尉143名、予備役陸軍歯科医少尉150名となる。 以上をまとめると 予備役陸軍歯科医大尉 18名 内戦死者 1名 予備役陸軍歯科医中尉 143名 うち現役特志 1名 内戦死者 12名 予備役陸軍歯科医少尉 150名 うち現役特志 1名 内戦死者 1名 現役特志とは、予備役将校が志願と選考ののち、永久服役の現役将校として認められるもので、大変な狭き門でもあった。 海軍の歯科医将校制度は昭和17年1月に、3名が現役士官の第1期生として歯科医少尉候補生に任官し、終戦までに永久服役と短期現役を合わせて9期生まで、歯科医見習尉官として採用された。(歯科医少尉候補生の名前が使われたのは一期生のみで、それ以後は歯科医見習尉官に変更された。) 昭和17年1月15日附 海軍歯科医少尉候補生 3名を1期生 昭和17年9月30日附 海軍歯科医見習尉官 53名を2・3期生 昭和18年9月30日附 海軍歯科医見習尉官 71名を4・5期生 昭和19年9月30日附 海軍歯科医見習尉官 96名を6・7期生 昭和20年以降任官の 海軍歯科医見習尉官 237名を8・9期生と称している。 そのうち、歯科医少尉に任官したのは五期生までであり、六期生以下は海軍賀茂衛生学校に在学中に終戦を迎えている。 他にも海軍独特のものとして、海軍嘱託歯科医師から海軍予備歯科医科士官に採用するルートがあった。(陸軍では、ついに嘱託歯科医師を歯科医科将校には採用していない。) 予備役の歯科医科士官は、海軍嘱託歯科医師から採用され、350名ほどが大尉-少尉に任官している。 第一回・昭和一九年七月一日 海軍予備役歯科医大尉〔だいい〕 28名 海軍予備役歯科医中尉 8名 第二回・昭和二〇年六月二〇日 海軍予備役歯科医少尉 312名 第三回・昭和二〇年八月一五日 海軍予備役歯科医少尉 3名
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