歯科医への医師国家試験の受験許可
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 01:25 UTC 版)
「戦時中の医師不足対策」の記事における「歯科医への医師国家試験の受験許可」の解説
1945年(昭和20年)に入ると、日本の医師不足は決定的になった。また、1944年の秋から始まったアメリカ軍による日本本土空襲は、多くの住民を殺傷したため、医師の不足は直接的に国民の士気の低下や戦争遂行への生産力の低下となって現れた。 1945年(昭和20年)4月6日に勅令216号医師免許ノ特例ニ関スル件が公布された。この内容は、従来の「歯科医師を正規の医師養成機関に編入させて、医学教育を行う」という原則から大きく逸脱するものであった。 医学教育機関に入学する為の選抜試験を廃止し、歯科医師の免許所有者に受験資格を与える。 原則として医学教育を不要とし、医師試験に合格すれば歯科医師に医師免許を与える。 各都庁府県一ヶ所に医師試験前準備講習会を実施して、「医師試験」の受験者対象に医師として必要な知識を教授する。講師は医療機関所属の医師が行う。 新たに実施されることになった、「医師試験」の科目は、 第1部:生理学、病理学、衛生学 第2部:内科学(小児科学と精神科学を含む)、外科学(整形外科を含む)、産婦人科学、皮膚科学(泌尿器科学を含む)、耳鼻咽喉科学、眼科学 と規定された。医師試験合格者は、6カ月間の「修練」を厚生省指定の病院で行う義務があった。 試験前講習会は、空襲がくり返される中、1945年(昭和20年)6月1日から7月30日までの55日、合計330時間が行われた。内訳は、生理学(20時間)、病理学(30時間)、衛生学(20時間)、内科学(小児科学と精神科学を含む)100時間、外科学(整形外科を含む)80時間、産婦人科学30時間、皮膚科学(泌尿器科学を含む)20時間、耳鼻咽喉科学15時間、眼科学15時間であった。臨床医学に関しては、時間数の三分の一は臨床示説のかたちで実施された。 かくして、1945年(昭和20年)9月15日から19日にかけて、札幌・仙台・宇都宮・東京・新潟・岐阜・京都・岡山・高松・熊本・金沢・大阪・長崎で、第一回「医師試験」が行われた。東京を例にとれば、「医師試験前準備講習会」は東大・慈恵医大・東京医歯専で行われ、受講終了者は367名(うち女性は29名)であった。「医師試験」においては、準備講習会未受講の独学者も受験したために東京での受験生は約400名に上った。全国では詳しいデータが明らかになっていないものの、2275名ほどが受験したと言われている。そのうち73名が合格(女性は0名)し、合格率は3.2%と極めて低かった。合格者には、1946年(昭和21年)4月から「実施修練」が課せられたが、通常のインターン教育の半分である6カ月で終了した。
※この「歯科医への医師国家試験の受験許可」の解説は、「戦時中の医師不足対策」の解説の一部です。
「歯科医への医師国家試験の受験許可」を含む「戦時中の医師不足対策」の記事については、「戦時中の医師不足対策」の概要を参照ください。
- 歯科医への医師国家試験の受験許可のページへのリンク