欧米での食文化の流れとは? わかりやすく解説

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欧米での食文化の流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:49 UTC 版)

鯨肉」の記事における「欧米での食文化の流れ」の解説

世界各地沿岸部古くから鯨肉食していたことは、考古学的研究から判明している。中世ヨーロッパにおいては、例としてビスケー湾などでバスク人によって組織的な捕鯨が行われ、の舌が珍重された他、肉は広く沿岸民の食糧となった中世ヨーロッパにおいては、特にイルカ食用として好まれ串焼きプディングパイなどに用いられた。変わった料理法では、捕鯨船などでまれに供されイルカ脳みそフライ挙げられる大型食品とはみなされなくなった後も、イルカについては比較最近まで食用とされていた。15世紀イングランド家庭料理についての本にイルカ料理登場するイングランド宮廷では17世紀頃までイルカの肉が供された。 カトリックにおける小斎のような信仰上の理由から肉食禁じられている時に禁忌触れない」として鯨肉食べることも多かったようである。 しかし、沿岸鯨類資源枯渇から沖合い遠洋へと漁場移動するにつれ、冷蔵冷凍技術がない当時においては持ち帰りが困難となり、徐々に食用とすることができなくなっていった。なお、鯨肉利用されなくなったにもかかわらず捕鯨継続され理由は、鯨油クジラヒゲなどに工業原料としての価値があったためである。そして沿岸から離れる過程で、食用と見る発想そのもの失われていった19世紀アメリカ合衆国捕鯨船救助され日本人船員も、アメリカ人船員の「大型鯨肉は毒だからと食べない」という証言記録している。当時アメリカ式捕鯨対象マッコウクジラ高級な機械油になる鯨油の元となったが、その油に含み、肉も加工せずに食べると下痢をする恐れがあり、あながち間違いともいえない。こういった事情から新鮮な鯨肉手に入りなおかつ新鮮な食料を必要としていた捕鯨船上ですら、イルカ以外の大型については一部船員除けば食用とはしていなかった。ただし、19世紀刊行されハーマン・メルヴィルの『白鯨』にも「イルカ美味はよく知られている」という記述や、ある捕鯨船員の特殊な嗜好としてではあるが大型ステーキ食べ描写もある。また、アメリカ捕鯨船上において、肉を食べる事はなかったが、小麦粉まぶしたの脳を鯨油揚げフライや、鯨油自体食用油使っていた記録があり、前述イルカ食用とされた。 なお、後に食用適したヒゲクジラ(主にセミクジラ)の鯨油マーガリン生産が可能となった時にも、食品とはみなされていなかったために、製品であるということは秘されて販売されていた。ただしノルウェーアイスランドなど沿岸での捕鯨継続され地域では、例外的に鯨肉食が残存している。第二次世界大戦時イギリスなど一部では食糧難の際の代用食として推奨されたが、あまり定着しなかった。1950年頃にも鯨油価格低下への対応策として鯨肉商品化検討されたが、これも失敗終わりペットフードなどに転用された。最近体の食用利用としては、前述鯨油マーガリン除けばノルウェーなどが生産した鯨肉エキス牛肉エキス代用としてコンソメ原料など使用していた例がある程度である。

※この「欧米での食文化の流れ」の解説は、「鯨肉」の解説の一部です。
「欧米での食文化の流れ」を含む「鯨肉」の記事については、「鯨肉」の概要を参照ください。

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