機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:23 UTC 版)
1990年2月3日19時45分ごろ、前日に定期検査を終え運航に復帰した本船は、八幡浜港から臼杵港へ向かって八幡浜港外の佐島付近を航行中、機関長が右舷主機の異常を発見して停止、左舷主機のみで航行を継続した。帰港後の開放点検で右舷主機の1番・6番シリンダのピストン、シリンダカバー、シリンダライナ、過給機などに損傷が確認された。事故原因は、新来島どっく大西工場で施工していた第1種中間検査において、主機起動弁組立て時の点検が不十分で、起動弁棒の取付けナットの割ピンが挿入されていなかったためであった。ナットの緩みにより、起動弁棒がシリンダ内に突出して折損・脱落、シリンダ周辺を損傷した。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 01:08 UTC 版)
1991年3月3日、17時56分ごろ、宮崎港へ向かって大阪南港を出港した本船は、大阪南港外港南防波堤灯台の西方約2.5海里の地点で、左舷主機2番シリンダのライナ焼き付きにより左舷機が運転不能となったため、大阪南港へ引き返した。事故原因は、当日に整備のため左舷主機2番シリンダのピストン抜き出しを実施した際、工事業者が作業に不慣れであったため、作業中に異物がかみ込んだ結果、シリンダライナ下部にスカッフィングを生じ、ピストンがライナに焼き付いたためであった。九州側の発着地が細島港から宮崎港へ変更された影響で、整備実施場所が大阪南港へ変更となり、今回が初めての施工であった。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/04 17:35 UTC 版)
1986年12月5日、8時ごろ、中古の乗用車とトラックを搭載して横浜港から香港へ向かっていた本船は、沖縄諸島伊平屋島田名埼灯台の西北西約58海里の地点で、左舷主機9番シリンダのブローバイにより、ピストンが焼付きシリンダライナーが割損、冷却水が漏出して潤滑油サンプタンクに混入した。機関長が当直交代時の点検で発見して、左舷主機を停止、那覇港へ寄港して修理を行った。事故原因は、燃料費高騰による燃費節減対策として主機の低負荷運転が続けられて燃焼状態が良くなかったこと、また過密な運航スケジュールにより長期間保守整備が十分でなかったため、とされた。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/05 17:15 UTC 版)
1993年9月22日、8時8分ころ、高松港から神戸港へ向かっていた本船は、高松港出港直後に、機関室を見回り中の操機長が左舷減速機ケーシングの変色変形および軸受部の塗料焼損を発見したため、左舷主機を停止、右舷主機のみで航行を継続して神戸港に入港した。左舷減速機は出力軸の軸受が焼損しており、製造メーカーの工場に搬入の上、修理を行って復旧した。軸受焼損の原因は、9月13日から21日にかけて定期検査で常石造船に入渠して左舷減速機の出力軸などを修理した際、軸芯の調整が行われず減速機出力軸の軸受が発熱したためであった。修理は出力軸を中間軸と接続したまま吊り上げて研磨修正するもので、軸芯調整が行われないまま主機が運転されたため、振れ回った軸により軸受メタルが発熱、焼き付いてずれたメタルにより潤滑油が遮断されたことでさらに過熱され、メタルは溶損、ケーシングが変形した。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 16:47 UTC 版)
1996年1月6日、6時ちょうどごろ、乗組員29名、旅客65名、車両72台を搭載して大洗港から室蘭港へ向かっていた本船は、金華山の北東12海里を航行中、右舷主機6番シリンダの軸ピンが折損したため、右舷主機を停止、左舷主機のみで航行を継続した。点検作業により約30分間漂流、主機の片舷運転により室蘭港への到着が約7時間遅延した。事故原因は、軸ピン製造時の浸炭処理不良で生じた強度不足により、就航以来の疲労により軸ピンが折損したためであった。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 10:06 UTC 版)
1989年12月1日、15時ごろ、広島港で錨泊中の本船は、左舷主機の試運転を行おうとしたところ、主軸受やクランクピン軸受のメタルがクランク軸に焼付いて起動できなかった。点検により、左舷主機3番シリンダのクランクピン軸受メタルなどの焼損が発見されたため、入渠してクランク軸、主軸受メタルなどを交換、修理が行われた。事故原因は、11月17日に行った左舷主機の試運転の際に、潤滑油系統の3方コックの誤操作から、左舷主機が90秒程度のあいだ潤滑油切れの状態で運転され、軸受メタルに焼付きの前兆が発生したが、その後の点検が不十分で軸受メタルの異常が発見されず運転が継続されたため、とされた。
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機関損傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:29 UTC 版)
「すずらん (フェリー・初代)」の記事における「機関損傷」の解説
2003年10月28日、0時50分ごろ、苫小牧港から敦賀港へ向けて航行中、左舷主機の始動空気管の過熱が確認されたため、左舷主機を停止して右舷主機のみで航行を継続しながら、当該部の部品交換が試みられたが、作業が困難だったため復旧を断念して苫小牧港に引き返した。事故原因は主機始動弁の弁棒ナットの締め付けトルクが指定されておらず、整備の際に過大トルクで締め付けられていた左舷主機b列3番シリンダの弁棒ナットが折損したためであった。
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