橋梁の着工に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 04:41 UTC 版)
「ござれや阿賀橋」の記事における「橋梁の着工に至るまで」の解説
阿賀野川の下流域は川幅が広いため、架橋には莫大な費用と長い工期を要することもあって、旧新潟市域の橋梁は1970年代までは松浜橋と泰平橋の2つしか設けられていなかった。豊栄市(現北区)や新発田市など近隣市町村のベッドタウン化が1960年代後半から急速に進捗し、両橋梁の交通量は大幅に増加。しかし両橋梁とも車線幅が狭いトラス橋で、朝夕のラッシュ時を中心に渋滞が慢性化した。1977年(昭和52年)に新新バイパスが延伸開通して阿賀野川大橋が暫定2車線で供用を開始し、さらに1986年(昭和61年)に全面竣工して4車線化されたものの、新新バイパスには都市間輸送や通過交通に加え、生活交通目的の車両までもが集中し、こちらも渋滞や速度低下が慢性化した。また阿賀野川大橋西側の海老ヶ瀬インターチェンジは高架部が片側2車線となっておりボトルネック渋滞がしばしば発生するなど、道路施設に関する問題も渋滞の慢性化を誘発する要因となっている。 新潟県と新潟市、豊栄市、聖籠町の3市町は新潟東港の開削に伴い、市内中心部と東港とを連絡する幹線街路として、1941年(昭和16年)に計画決定していた都市計画道路「河渡松崎線」の終点を東港の港域まで延伸して、路線名を「山の下東港線」(延長22.8km)に改称した上で1968年(昭和43年)に計画決定し、その一環として松浜橋の上流部に道路橋梁を新設する構想を立案したが、第一次オイルショックの発生や、前述の新新バイパスの建設を優先したことなどで計画は進捗しなかった。しかし前述の通り、新新バイパスの開通・完成後も交通量の増大は続き、新潟市以北の幹線道路網の拡充が喫緊の課題となりつつあった。 そこで新潟県と新潟市は、当時の建設省と松浜橋上流橋の建設に関する協議を進めた結果、橋梁部を含む区間について国の権限代行によって建設事業を進めた上で、開通後の区間は国道113号の区間として、新潟県が維持管理業務を行う方式で整備することになり、2001年(平成13年)度に新規事業化された。 2003年(平成15年)度から用地取得に着手し、2005年(平成17年)度から道路の施工に着手。そして上流橋本体の起工式は2006年(平成18年)11月13日に執り行われ、同月から本格的に架橋が開始された。また新潟市が2007年(平成19年)4月1日から政令指定都市へ移行するのに伴い、開通後の維持管理業務は新潟市が行うことになった。
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