橋梁の消失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/29 23:58 UTC 版)
甲府市教育委員会によると、国玉の大橋が架橋されていた場所は、濁川と十郎川の合流部付近、今日の国道411号(城東バイパス)に架かる城東大橋南方付近(座標参照)で、すぐ東方に玉諸神社があり、この橋は玉諸神社への参道の役割も担っていたという。江戸期以前の和歌に国玉の大橋の記述があることから、戦国時代以前より橋は存在したと考えられている。橋の長さは江戸時代初期には180間(約330メートル)ほどであったが、幕末頃の記録では45間(約83メートル)に縮小されており、これは架橋地点付近に大きな中州があり、流路変更などにより濁川本流幅員が縮小したことによるという。その後、橋の北側に甲州街道が整備されたことにより、橋の利用者が徐々に減り、水害等で壊れた橋は修復されず放置されるようになり、やがて消失してしまったという。
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