構造・意匠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:05 UTC 版)
主屋は、木造平家建、一部二階建で、屋根は入母屋造、瓦葺とし、棟上に煙出しの櫓を設ける。居間、茶の間などがある主体部の北西に書斎棟が接する。主体部の南東には南方向に延びる廊下があり、その先に2階建の寝室棟があり、廊下の途中東側には2階建の内倉がある。北側に面した玄関を入ると、寄り付きは東西に伸びる畳廊下で、その先は西(向かって右)が12畳半の居間、東が10畳の茶の間となる。玄関土間の西には6畳の小応接室(茶室)がある。居間・茶の間の南から西にかけて入側をめぐらす。茶の間の東には3畳の和室、台所、6畳の女中部屋、納戸などがある。 玄関土間は吹き抜けとし、古民家風の梁組を見せる。小坂家の伝承によれば、梁材には奥多摩の名主屋敷の材木が使われているという。 12畳半の居間は一間半の床(とこ)と付書院を設け、天井は薩摩杉を用い、数寄屋風のつくりとする。東隣の茶の間(10畳)との境の欄間は桐紋を透彫とする。居間・茶の間の南から西にかけて入側がめぐる。入側は部屋寄りを畳敷、庭寄りを板敷とする。縁桁(えんげた)の長さは10.6mとなっている。 6畳の小応接室は、炉を切った茶室である。床(とこ)は略式の壁床(織部床)とし、天井はが蒲簾を張る。水屋は廊下を挟んで西側の書斎前にあり、八角柱が用いられている。他に別棟の茶室が庭内にあったが現存しない(横山大観が戦時中に3か月ほど滞在したことがある)。 主屋の北西に位置する書斎は山小屋風の意匠の洋室であるが、柱に赤松の面皮柱を用い、天井にも赤松面皮材の大引を使用するなど、一部に和風を取り入れている。床は寄木板張で、壁に張られた腰板には鉈目(なため)削りの装飾を施す。暖炉(マントルピース)上のスペースにはもとは仏像を安置していた。壁は袋張りとよばれる空気の層を持つ黒塗りの壁で構築されている。 女中部屋脇の廊下上部には、各部屋に備わった押しボタンで呼び出しができる、女中を呼び出すための呼び鈴がある。 内倉は、鉄製の防火扉がついた2階建ての内倉であり、美術品や調度品・家財道具を貯蔵していた。 主屋から南へ廊下を進むと2階建ての寝室棟がある。寝室の手前には階段ホールと更衣室があり、2階には令息室と書庫がある(2階部分は非公開)。寝室は洋風の造りとなっており、西側にベランダ(サンルーム)が付属する。天井は漆喰仕上げで、照明は本物の蝋燭による照明のような装飾を紙で再現、飾りの暖炉がある(実際の暖房はセントラルヒーティングで管理されている)。現在は室内に小坂順造のレリーフが飾られている。当時は多摩川越しに富士山が望めた。 玄関前の庭にはもみじがあり、玉川八景の1つである「岡本の紅葉」の象徴といわれる。
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