森達也らによる論考
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「要注意歌謡曲指定制度」の記事における「森達也らによる論考」の解説
森達也は著書『放送禁止歌』において、制度はあくまでもガイドラインに過ぎず、強制力はなく放送してもペナルティもなく最終判断は各放送局に委ねられていたが、業界ではいつの間にか失効していたことも周知されず、民放連が規制の主体と思いこまれていたと指摘している。森が1990年代にフジテレビ番組審議室考査部長に取材した際、現場の人間に制度の失効が周知されていないことを問いただすと、「教育が徹底されておらず先輩が無自覚に臭い物に蓋をする体質が染み付いてしまったのは否定できず大きな失点だ」と釈明したと述べている。 北島三郎のデビュー曲『ブンガチャ節』は「キュキュキュー」の合いの手が「ベッドの軋みを連想させる」として放送禁止指定を受けたが、森はジョークだとしても程度が低く、それなら『オバケのQ太郎』が規制されないのはなぜかと指摘している。 1970年代半ばには、生放送のワイドショーに出演したWBC世界ライト級王者ガッツ石松が、当初は『長崎は今日も雨だった』を歌う予定だったが、ガッツが突然「尊敬する高倉健さんに捧げたい」と曲を『網走番外地』に変更、楽譜の用意もなく勘を頼りにバンド演奏が始まりフルコーラスが歌われたが、出演者やスタッフはこの曲が放送禁止指定を受けていることを知らず、番組終了間際にプロデューサーがその事実を知り蒼白になったが、テレビ局内で処分を受けた人間はおらず問題には発展しなかった。森は網走番外地の事例を「いかにも放送禁止歌らしいエピソードだ」、悲惨な戦いの取材を「理解していない双方が手さ探りと推測で話すとこういうことになる。こうして臆測はいつのまにか増幅され、やがて既成の事実となって定着する。この会話はその好例だろう」としている。 また、網走番外地と同じくヤクザの曲である藤純子の『緋牡丹博徒』や北島三郎の『仁義』は審査されたが指定は受けなったことから、吉野健三も著書『歌謡曲 流行らせのメカニズム』において、制度の基準に疑問を呈した。 森が1990年代に放送禁止指定を受けた『悲惨な戦い』を流している有線放送のディレクターに取材すると、放送禁止に指定された事実は知っているが、使用しているのは禁止されたスタジオ録音盤ではなくライブ音源であり、ライブでは歌詞にある「NHK」を「イヌHK」と発音しているため放送していると言われ、森も「かえって失礼では」と聞くと「そういうものなんですよ」と返されて森はなるほどとなったが、有線放送は民放連非加盟なため通達や規制を受けないことをお互い認識していなかったと、森は述べている 森は『時には娼婦のように』や『後ろから前から』などの方が扇情的だが、それらの多くは指定から外れており、時代とともに緩和されてきた制度だが、指定され続けた『悲惨な戦い』や『大島節』はどれだけ贔屓目に見ても選曲や判断のバランスが悪く、本作が指定されるなら他にも同じ扱いをされる作品もあるはずだと疑問を呈し、2000年前後には「それを聞いても答えられる人は制度の主体である民放連にはもういない」と返答されているが、それぞれの楽曲を審議する人間が思考停止に陥っていたのではないかと考え、何かのはずみで残り続け、担当者の引き継ぎが行われても考察をせず、そのまま申し送りすることが繰り返された可能性を指摘している。
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