森進一との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 02:55 UTC 版)
川内と森の付き合いは古く、1968年(昭和43年)に「花と蝶」で川内が作詞を担当したときからの付き合いである。元来、川内は親分肌の人間であるが、森のそれまでの境遇に同情、ひたむきだった人柄を気に入り家族ぐるみの付き合いを始めた。1973年(昭和48年)に森の母が自殺した際には、真っ先に駆けつけ葬儀を取り仕切ったほか、自ら読経も担当した。 1979年(昭和54年)に森が渡辺プロダクション(渡辺プロ)から独立の際、森は渡辺プロからの妨害を受けた。さらに、渡辺プロは独立した森を出演させるなら他の渡辺プロのタレントを引き上げると各TV局に通告。全民放は当時圧倒的な数の人気歌手・タレントが所属する渡辺プロに屈したため、森は民放のテレビ出演ができなくなってしまった。しかし川内らが助け、NHKへの出演だけは取り付け、同年の第30回NHK紅白歌合戦には出場できた。約半年後、川内の奔走によって森サイドが営業活動の窓口の一部を渡辺プロに依頼することで手打ちとなった。その他、森のスキャンダルが発覚した際には常に川内が火消しに暗躍していた。 その後も川内と森との間の関係は良好であると言われたが、実際には森の不手際と人付き合いの下手さに川内は辟易していたと言われており、2007年のおふくろさん騒動が起こると、川内は森に対して絶縁宣言をし和解することなく他界した。
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