桜田門事件の実行犯とは? わかりやすく解説

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桜田門事件の実行犯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 11:30 UTC 版)

李奉昌」の記事における「桜田門事件の実行犯」の解説

1930年12月心機一転すべく中華民国上海市渡った鉄工所永昌公司職工となったり、閔行区蓄音機店で営業員として働くが、賃金が安いといってすぐに辞めてしまった。就職思い通りにいかないときに同地韓国人より上海市内に大韓民国臨時政府庁舎があると聞き1931年1月所在地訪問。ちょうどこの年結成されたばかり韓人愛国団秘密会議が行われており、下駄履き日本人風の出で立ち日本語流暢にしゃべる李奉昌は、日本密偵だと警戒されて追い出されたが、後日潜入する工作員にはもってこいということ逆に金九スカウトされる。しかし周囲はしばらく素性のよく分からぬ疑い宴席設けて酒に酔わせ、本音を引きだそうとした。酔って大言壮語したは、昭和天皇処断すべきだなどと口走り自分天皇のそばまで行ったことがあり、そのとき武器持っていなかったからできなかったが容易にできたと熱っぽく語ったため、それならばと、後日計画立ち上げられた際に、暗殺計画実行する役目与えられた。 12月12日抗日テロ組織韓人愛国団正式に入党した金九より支度金として300ドル武器として手榴弾渡され12月17日氷川丸乗船して渡日し、12月19日20時、兵庫県神戸市到着するその後大阪入り大阪市内木賃宿泊る12月22日東海道本線超特急燕号で上京し東京市浅草区清町の尾張屋旅館宿泊する。しかしこの間に酒と漁色耽り資金使い果たしてしまったので、上海電報でさらに100圓送金してもらったひたすら実行機会窺っていたところ、12月28日付の東京朝日新聞記事により翌1932年1月8日東京市代々木練兵場において陸軍始観兵式挙行されることを知り天皇行幸があるとわかって、この日に決行することを計画した1932年1月8日犯行前々日1月6日)にバス運転手菅原五郎から偶然入手した憲兵曹長大場全奎」の名刺使って観兵式警戒網を2回突破した赤坂付近襲撃する予定が、待っている間に付近一つ木食堂で日本酒飲んでいて鹵簿をやり過ごしてしまい、慌てて円タク呼び止め三宅坂陸軍参謀本部前で降り、そこから走って警視庁正門まで行って奉拝者の列に混ざったという次第であったはどの御料馬車天皇乗車しているかを知らなかった第一両目をやり過ごしてしまい、一木喜徳郎宮内大臣乗車する第二両目手榴弾投げ付けた。実際に昭和天皇第三両目御料馬車乗車しており、手榴弾はその32メートル前方炸裂したが、威力弱く何事もなかったように通過天皇車内にあって音を聞いた程度だった。後に第二両目馬車には、破片小さな穴が空いてることが見つかり、騎乗随伴していた近衛騎兵1人とその乗馬馬車馬の馬2頭が負傷していたことがわかったその場逮捕され襲撃失敗終わった詳細は「桜田門事件」を参照 同年9月30日大審院裁判長和仁貞吉)にて大逆罪旧刑法73条)として死刑判決下り10月10日市ヶ谷刑務所にて絞首刑処された。

※この「桜田門事件の実行犯」の解説は、「李奉昌」の解説の一部です。
「桜田門事件の実行犯」を含む「李奉昌」の記事については、「李奉昌」の概要を参照ください。

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