松阪牛の生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 16:55 UTC 版)
「松阪牛」も参照 松阪牛の定義は以下の通りであり、松阪市で生産したからと言って全てが松阪牛を名乗れるわけではなく、松阪市外で生産されても定義を満たせば松阪牛を名乗ることができる。 黒毛和種かつ未経産の雌牛(処女牛)であること。 松阪牛個体識別管理システムに登録していること。 松阪牛生産区域(三重県内の旧22市町村)での肥育期間が最長であり、かつ最終肥育地であること。 松阪牛生産区域への導入後は、生産区域外へ移動させないこと。 生後12ヶ月齢までに松阪牛生産区域に導入すること(2016年4月1日以降)。 2000年代にBSE問題や牛肉偽装事件を経て消費者の牛肉に対する信頼が揺らぎ、松阪牛のブランド価値をも低下させてしまったため、松阪牛に関わる人々が定義の統一に乗り出し、出来上がったのが上記の松阪牛協議会による定義である。この定義ができるまでは、松阪肉牛協会、松阪肉牛共進会、松阪肉牛生産者の会の3団体がそれぞれ別個に松阪牛の定義を定めており、不統一であった。 松阪近郊では江戸時代より但馬国(現・兵庫県)で生まれ紀伊国(現・和歌山県)・紀の川流域で育ったメスのウシを購入し、農作業に利用していた。文明開化の時代を迎えると、山路徳三郎の「牛追い道中」による東京での肉牛販売や松田金兵衛の精肉店「和田金」開店を通して農家がウシの肥育技術を高め、1935年(昭和10年)には芝浦屠場で開かれた「全国肉用畜産博覧会」で雌牛「みち」が最高の賞である名誉賞を獲得するに至った。この頃は旧国名(伊勢国)を採って「伊勢牛」と呼んでいたが、1955年(昭和30年)頃に関係者らが「松阪肉」と呼ぶことで一致し、1949年(昭和24年)に始まった松阪肉牛共進会での牛の高値取引や、1958年(昭和33年)発足の松阪肉牛協会による上質の枝肉のみ「松阪肉」と称するという決定を通して、松阪牛が高級ブランドとして定着していった。なお松阪牛の読みについては、松阪牛協議会が「まつさかうし」と「まつさかぎゅう」のどちらも正しいとしているが、松阪を「松坂」と表記したり、「まつざか」と濁音で読んだりするのは誤りと明言している。 松阪牛の肥育方法として知られる「ビールを飲ませる」「マッサージを行う」という方法は、自社牧場を持つ和田金が試行錯誤の末に生み出したものである。これらの肥育法は全ての農家で実践しているわけではなく、それぞれの農家が長い経験を積みながら独自の技術で肥育を行っている。松阪市内で肥育の盛んな地域は、松阪市街に隣接する穀倉地帯、「松阪牛のふるさと」と称される飯南町深野、和田金牧場のある嬉野地域である。1戸あたりの肥育頭数は少なく、大規模経営は和田金牧場くらいである。多くの牧場は後継者が不足しており、牛肉の輸入自由化以降は取引価格も抑えられているなど、盤石の経営環境とは言えない。なお、これらの牧場は防疫の観点から一般公開はされていない。
※この「松阪牛の生産」の解説は、「松阪市の肉文化」の解説の一部です。
「松阪牛の生産」を含む「松阪市の肉文化」の記事については、「松阪市の肉文化」の概要を参照ください。
- 松阪牛の生産のページへのリンク