東京大学助手とは? わかりやすく解説

東京大学助手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:43 UTC 版)

宇井純」の記事における「東京大学助手」の解説

1965年新設都市工学科衛生工学コース助手実験担当)となる。専門下水道助手就任1965年新潟水俣病発生し実名での水俣病告発開始したため東大での出世の道閉ざされ、「万年助手」に据え置かれた。従来科学技術者多く公害企業や行政側に立った御用学者」の活動をしてきたと批判し公害被害者立場立った視点提唱し新潟水俣病民事訴訟では弁護補佐人として水俣病解明尽力するなどの活動展開した1968年8月27日朝日新聞宇井報告インタビュー元にして「ネコ400号」実験追試記録事実スクープ1968年から1969年にかけ、東大闘争の最も激しかった時期にはWHO研究員としてヨーロッパ留学していた。この間オランダ国衛生工学研究所において、パスフィーア老師から酸化溝による排水処理技術を学ぶ。 帰国した1970年より、公害研究・調査結果市民直接伝え、また全国公害問題報告現場から聞く場として公開自主講座公害原論」を東京大学工学部82教室にて夜間開講以後15年わたって講座続け公害問題に関する住民運動などに強い影響与えた1972年6月スウェーデンストックホルム開催された「国際連合人間環境会議」に医師原田正純水俣病患者濱元二徳、坂本フジエ坂本しのぶらと出席水俣病存在ニュースなどにより世界広まり、これがきっかけとなって各国水銀調査始めた1974年第10回参議院議員通常選挙三里塚闘争指導者である戸村一作出馬すると、小田実浅田光輝とともに三里塚闘争戸村一作氏に連帯する会」を発足させた。

※この「東京大学助手」の解説は、「宇井純」の解説の一部です。
「東京大学助手」を含む「宇井純」の記事については、「宇井純」の概要を参照ください。

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