東京大学史上初めての学位剥奪処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:00 UTC 版)
「アニリール・セルカン」の記事における「東京大学史上初めての学位剥奪処分」の解説
インフラフリーの学位取得論文に関して、後年の調査により全376ページのうち149ページに盗用が見つかり、2010年3月2日、東京大学史上初めての学位剥奪処分を下された。この処分が報道されると、セルカンはブログで声明を発表し、この論文の問題点について「論文と参考文献のリストが照合できるよう番号を振る必要があるのに、それが振られていなかったという僕の単純なミスにより、コピーだと言われている」 との説明を行った。しかし、東京大学では単なる出典不記載だけでなく盗用や改竄があったと指摘しており、公式発表にて「出典不記載に止まらず、自らの創作物であるかのように偽装した悪質な盗用と判断できる箇所が11箇所、その疑いがあると判断できる箇所が計10箇所存在する」と述べた上で、その具体的な盗用の実例を複数挙げて説明している。 事態を重く見た東京大学は特別調査委員会を設置し、学位の不正取得に至った経緯の徹底的な調査を行った。その結果、セルカンによって提出された博士論文のうち全体の4割は盗用だったことが明らかになった。また、同委員会の調査に際して、セルカンの指導教員を担当し学位論文の主審査員も務めた松村秀一は「元助教を信じていたが、裏切られた」 と主張していた。しかし、同委員会の調査によれば、副審査員4名のうち2名が「論文の水準やオリジナリティに疑問がある」と指摘していたにもかかわらず、松村はそれを無視して独断で学位を与えていたことが明らかになった。同委員会の委員長として調査を指揮した東京大学副学長の佐藤慎一は、松村が行った審査について「恣意的でずさんであり、責任を厳しく問われなければならない」 と批判した。松村は学生指導の担当を外され、追って懲戒処分が下される見通しとなり、その2年後の2012年2月24日付けで、1か月の停職処分を言い渡した。
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