東京大学宇宙航空研究所の発足とは? わかりやすく解説

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東京大学宇宙航空研究所の発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:48 UTC 版)

宇宙科学研究所」の記事における「東京大学宇宙航空研究所の発足」の解説

東大生技術研究所は、その後多数発展ロケット開発1960年には本格的な衛星打ち上げ能力を持つミューロケット構想を持つまでになった1964年東大生技術研究所一部東大航空研究所合併し駒場移転して東京大学宇宙航空研究所発足した。また同年には科学技術庁内に、現JAXA前身3組織目、のちの宇宙開発事業団NASDA)の前身となる宇宙開発推進本部設立された。これにより日本の宇宙開発は、固体燃料使用して科学衛星打ち上げる東大ISAS文部省)の系列と、液体燃料使用して実用衛星打ち上げ目指すNASDA科学技術庁)の系列2つ並行して進んでいくことになる。 1969年宇宙開発事業団NASDA)が発足した際に、東京大学および日産自動車における固体燃料ロケット開発中止追い込まれそうになった原因は、固体燃料ロケットには兵器への転用おそれがあるにもかかわらず輸出先確認してなかったことによる(カッパロケット参照)。しかし、実用衛星ではない科学研究のためだけの衛星のみを打ち上げることを条件研究続行許可された。 また、1969年学生運動高まり見せた年でもあり、研究所出入りする学生職員らも少なからず関与することとなった同年10月21日行われた国際反戦デーデモでは街頭で多数火炎瓶使用されたが、後に、これら武器一部研究所薬品部品用いて所内製造されていたことが明らかになり、同年11月8日には警視庁研究所家宅捜索実施職員5人が逮捕、起訴されている。 1970年東京大学宇宙航空研究所鹿児島県内之浦の射場から人工衛星おおすみ」の地球周回軌道への投入初め成功した。これにより日本世界で4番目の自国ロケットによる人工衛星打ち上げになった。またこれは、世界初大学による人工衛星打ち上げ成功であった

※この「東京大学宇宙航空研究所の発足」の解説は、「宇宙科学研究所」の解説の一部です。
「東京大学宇宙航空研究所の発足」を含む「宇宙科学研究所」の記事については、「宇宙科学研究所」の概要を参照ください。

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