李恩恵拉致事案とは? わかりやすく解説

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李恩恵(リ・ウネ)拉致事案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:02 UTC 版)

北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「李恩恵リ・ウネ拉致事案」の解説

1978年昭和53年6月29日拉致 東京飲食店員、田口八重子1955年(昭和30年)8月10日 - 当時22歳帰国した拉致被害者たちの証言によると、1984年昭和59年)頃には平壌郊外中和郡忠龍里ある日本人居住地横田めぐみおよび工作員女性1名と同居していた。1986年昭和61年)に平壌転居し10月には地村富貴恵平壌市内百貨店会っている。蓮池薫証言によると、その後田口八重子は敵工地呼ばれるところに行ったとされている。 1987年11月大韓航空機爆破事件有罪判決受けた北朝鮮スパイ諜報員金賢姫キム・ヒョンヒ)は、「李恩恵リ・ウネ)」という女性から日本人立ち居振る舞い学んだ主張している。この李恩恵については金賢姫供述を基に似顔絵作られ1988年昭和63年)頃全国各地に「昭和55年以前行方不明になったこの女性を知りませんか」というポスターが貼られている。その後埼玉県警察警備部調べ1991年平成3年)に、「李恩恵が行不明となった田口八重子同一人物であると推定されている。しかし彼女の家庭複雑な事情抱えており、まだ幼い子供のことを考慮して家族より実名報道控えてほしいと要請があり、特定には時間要した日本の警察庁から2人担当官ソウル行きソウル大使館政治部警察庁出身の者を同行させ金賢姫面会した教育当たった李恩恵という女性拉致され田口八重子ではないかということで、同年輩女性顔写真10ほどが準備された。田口八重子写真この中混入し、「このなかに教育当たった女性がいるか」と金賢姫に示した1枚1枚写真見ていた彼女は田口八重子顔写真見て、「この人です」と言ったという。李恩恵拉致され田口八重子であることが確認された。2009年3月金賢姫田口八重子親族釜山面会した地村富貴恵証言によると、北朝鮮上陸した際、子供日本にいるから帰してほしいと訴えたとされている。また、工作員となって海外渡り日本大使館駆け込もう計画していたが、北朝鮮側に工作員なれないと言われ断念したとされている。 北朝鮮側の説明によれば田口八重子1984年日本人拉致被害者原敕晁 下記9参照)と結婚1986年昭和61年)の同男性病死後、1986年昭和61年7月自動車事故死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体洪水流失したとしており、遺体確認はされていないまた、李恩恵なる人物の存在否定している。

※この「李恩恵(リ・ウネ)拉致事案」の解説は、「北朝鮮による日本人拉致問題」の解説の一部です。
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