杉田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:01 UTC 版)
生家 父・日布(日蓮宗僧侶・身延山久遠寺第81世法主)湛山は、1894年(明治27年)9月、父が静岡県に転住することになると、山梨県中巨摩郡鏡中条村(若草村→若草町を経て、現在の南アルプス市)に在る長遠寺の住職を務めていた望月日謙に預けられた。 湛山は、「もし望月師に預けられず、父の下に育てられたら、あるいはその余りに厳格なるに耐えず、しくじっていたかもしれぬ。…望月上人の薫陶を受けえたことは、一生の幸福であった。そうしてくれた父にも深く感謝しなければならない」と『湛山回想』に記している。 母・きん(畳問屋石橋藤左衛門の二女)湛山の『私の履歴書』によれば、「母は“きん”と言い、芝二本榎の相当大きな畳屋の娘で、代々熱心な日蓮宗の信者であった。この畳屋は、私が幼年のころは相当繁盛していたようだが、主人である母の兄が死んだ後であったろう、つぶれてしまった。私は事情があって、この母方の姓を名乗って、石橋というのである。」という。 他に妹が2人、弟が1人いる
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