杉田宗久
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杉田 宗久(すぎた むねひさ、1956年5月20日 - 2013年12月25日)は、日本の元裁判官。同志社大学法科大学院教授。早稲田大学卒業。大阪府柏原市出身。
経歴
- 1980年 司法修習生(第34期)
- 1982年 大阪地方裁判所判事補
- 1984年 福岡地方裁判所判事補
- 1987年 裁判所書記官研修所(後の裁判所職員総合研修所)教官
- 1990年 東京地方裁判所判事補
- 1992年 高知地方・家庭裁判所判事
- 1996年 大阪地方裁判所判事
- 1999年 司法研修所教官
- 2003年 大阪地方裁判所部総括判事(第7刑事部)
- 2011年 大阪高等裁判所判事
- 2012年 判事を退官、同志社大学大学院司法研究科教授
- 2013年12月25日 肺癌のため死去[1]。57歳没。
人物
一般的に検察の論告求刑を八割程度が相場とされる中、求刑超えの判決を三度下したことがある[2][3]。一方で判決を宣告した閉廷後に退廷する被告人に対して裁判官席から身を乗り出して励ましの声を掛けたエピソードや、5億円の詐欺罪に問われた小室哲哉に対して執行猶予付き判決を下したこともある[2][3]。このため、メディアではしばし「人情派裁判官」と評されていた[4][5]。
裁判官時代に出した判決
- 女性5人が被害にあった強姦と強姦未遂の事件で、求刑懲役12年に対し、懲役14年(一審大阪地裁裁判長、2004年)
- 無免許・酒気帯び運転・信号無視の事件、求刑懲役8月、罰金9000円に対し、懲役1年、執行猶予5年(一審大阪地裁裁判長、2006年)
- ペッパーランチ心斎橋店女性客強盗強姦事件で、元店長の求刑10年に対し懲役12年、元店員に求刑通りの懲役10年(一審大阪地裁裁判長、2007年)
- 小室哲哉による著作権譲渡詐欺事件で、求刑懲役5年に対し、懲役3年執行猶予5年(一審大阪地裁裁判長、2009年)
- 覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)で求刑懲役10年に対し、懲役5年(一審大阪地裁裁判長、2009年)- 大阪地裁初の裁判員裁判
- 強制わいせつ1件と強姦2件の罪に問われた男性に対し、「醜悪極まりなく、齢(よわい)六十を超えた者の振る舞いとも思えぬ所業」とし、懲役12年(一審大阪地裁裁判長、右陪席は三村三緒裁判官。2009年) ※後に冤罪と判明して無罪
脚注
- ^ 訃報:杉田宗久さん57歳=同志社大大学院教授 毎日新聞 2013年12月27日 - ウェイバックマシン(2013年12月28日アーカイブ分)
- ^ a b “「もうやったらあかんで。がんばりや。」”. 幻冬舎. 2025年11月5日閲覧。
- ^ a b “小室被告に猶予判決、再起期待の温情判決”. 日刊スポーツ. (2009年5月12日) 2025年11月5日閲覧。
- ^ “被告人も涙した「人情派裁判官」のホロリとさせる言葉”. マネーポストWEB (2019年9月15日). 2025年11月5日閲覧。
- ^ “「人情派裁判官」杉田宗久さん死去 元大阪高裁判事”. 朝日新聞 (2013年12月30日). 2013年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月5日閲覧。
固有名詞の分類
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