木造釈迦如来立像とは? わかりやすく解説

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木造釈迦如来立像(重要文化財)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:43 UTC 版)

興福寺の仏像」の記事における「木造釈迦如来立像(重要文化財)」の解説

1929年盗難

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木造釈迦如来立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 16:24 UTC 版)

清凉寺」の記事における「木造釈迦如来立像」の解説

国宝。本像はいわゆる三国伝来釈迦像」「生身釈迦」である。北宋時代雍熙2年985年)、仏師張延皎および張延襲の作。像高160.0cmで、伝承では赤栴檀というインド香木造られとされるが、実際に魏氏桜桃という中国産のサクラ材で作られている。頭髪縄目状に表現し通肩両肩を覆う)にまとった大衣衣文線を同心円状に表すなど、当時中国日本仏像とは異なった特色示している。その様式は古代インド源流をもつ中央アジア西域)の仏像共通性みられる当時、宋に滞在していた奝然雍熙元年984年)、当時の都であった開封汴京)で優填王造立という釈迦霊像拝して、その模刻志し、翌雍熙2年985年)、台州開元寺で本像を作らせた。以上の造像経緯は像内に納入されていた「瑞像造立記」の記述から明らかであり、背板内刳板)裏面には張延皎および張延襲という仏師の名が刻まれている。古代インド優填王釈迦在世中に造らせたという釈迦像の中国への伝来については、北伝ルート南伝ルート2つの説がある。『釈迦堂縁起』は、当寺釈迦像は摩羅琰(くまらえん)(英語版)が中央アジア亀茲国将来したのちに、前秦苻堅によって奪われ中国もたらされたとする北伝ルート説をとっている。 本像の模造は、奈良西大寺本尊像はじめとして日本各地100近くあることが知られ、「清凉寺釈迦如来」と呼ばれる。 像とともに国宝指定されている像内納入品は、1953年昭和28年)に像の背面にある背板内刳部を状に覆う板)が外れそうになり、隙間から北宋時代貨幣がこぼれ落ちてきたことに端を発する。翌1954年昭和29年)に総合調査実施した際に納入品が発見された。この納入品には、造像まつわる文書奝然遺品仏教版画などとともに内臓の模型がある。医学史資料としても注目されるこの内模型は、台州妙善寺比丘尼清暁の風疾治療祈願して納入されたもので、世界最古の絹製模型である。それぞれあるべき位置納められていた11個の臓腑は、中国古来五臓六腑説とはやや異なる点があり、この内模型中国医学に基づくものか否かについては諸説ある。 奝然遺品としては、生誕仮名書付(臍の緒書き最古平仮名文字といわれる)や手形を捺した文書なども発見された。(納入品の細目後出。)

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