最適型リトル・ジョン
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「MGR-3 (ロケット)」の記事における「最適型リトル・ジョン」の解説
フェイズ2は、期間30ヵ月、見積り額210万ドルのプログラムとして計画されたが、最終的には54ヵ月と3,760万ドルにまで膨れ上がった。フェイズ2の目的は、精度の改善、システムの軽量化、モーターの改良、2種類の弾頭運搬能力と自走式発射機を持つ最適システムを開発することであった。フェイズ2リトル・ジョンは、核弾頭及び通常弾頭の両方を最小射程3,500 ydから最大射程20,000 ydに到達させることができる自由飛行ロケットであることになっていた。しかし、弾頭の詳細仕様が1956年12月に固まるまで、この時期にほとんど開発は進展しなかった。 1957年1月、最適システムの開発が正式に始まったが、アメリカ陸軍が1958年9月16日に自走式リトル・ジョン・システムの要求仕様をキャンセルし、陸軍武器科長にその部分の開発計画を中止するように命じたため、フェイズ2でも引き続き牽引式の発射機を使い続けることになった。1958年12月から1959年10月にホワイトサンズ・ミサイル実験場でフェイズ2開発試験が行われた。試験プログラム中に、ARGMA研究開発部は戦術用リトル・ジョンの設計を確定し、限定生産のためにARGMA工業部に研究開発図面を発簡した。 XM51 リトル・ジョン・ロケット(弾頭なし)、XM34 発射機及びすべての地上支援装置の条件つきの研究開発リリースは、XM85E3 コンディショニング・キットとトラック搭載のハンドリング・ユニットを除き1959年10月15日に完了した。1959年11月、陸軍省は、フェイズ2リトル・ジョンを限定生産カテゴリに指定し、システム・コンポーネントの限定調達を開始した。 ARGMA研究開発部は、XM51 ロケット、XM34 発射機及び補助器材、XM8 訓練弾頭とT54 高性能炸薬弾頭の最終研究開発図面と各種文書を1960年7月1日にARGMA工業部へ発簡した。リトル・ジョン・プログラムの主要な管理監督は、研究開発部から工業部に移行し、1961年5月から1960会計年度のフェイズ2リトル・ジョンの生産ユニットの納入が1ヵ月あたり60基で開始された。 エンジニアリング・テスト/サービス・テスト (ET/ST) の間に判明したフェイズ2リトル・ジョンの主な欠点は、1961年8月にユーザーの要望に添って修正された。XM26E1 ロケット・モーターの低温点火限度を除いて関連する軍用性能も満たされ、化学核弾頭と改善されたXM85E4 コンディショニング・キットを除くフェイズ2リトル・ジョンのすべての構成要素は、1961年9月にスタンダードA (TC-STD-A) に指定された。 スタンダードAに指定された後も1961年9月から1965年8月にかけてそれまでに見つかっている欠点を克服するためのリトル・ジョンの改善努力が続けられ、1964年には改善されたリトル・ジョン・システムのすべての構成要素は、XM185 高性能炸薬弾頭を除いてサービス・テスト後、スタンダードAに指定された。フェイズ2リトル・ジョンの改善の大半は1965年中頃には終了し、リトル・ジョン計画は、1965年8月に公式に終了した。陸軍省が1954年7月1日から1966年7月30日までの12年間にリトル・ジョン・プログラムのフェイズ1及びフェイズ2の全段階に投資した資金の総計は、ほぼ1億ドルにまで達していた。
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