昭和期の事業展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:15 UTC 版)
1927年(昭和2年)7月4日付で3度目の増資が実施され、資本金は600万円となった。以後増資は実施されていない。直後の10月31日付で、向島電気から事業を譲り受けた。また1939年(昭和14年)5月31日付で白峰電気からも事業を譲り受けている。どちらも小規模電気事業者で、向島電気は石川郡山島村(現・白山市)の、白峰電気は能美郡白峰村(同左)の有志が設立、それぞれ村内に小規模な水力発電所を構えて配電していた。 この間、金沢電気軌道の電気供給事業の成績は着実に伸長した。電灯供給では金沢市に編入された地域を中心に取付灯数が増加。電動機向け電力供給では1933年(昭和8年)ごろから繊維産業の活況を反映して急増し、供給電力が5年で倍増した。1938年(昭和13年)11月末時点での供給成績は電灯が需要家数2万6418戸・取付灯数8万6786灯(うち3116戸・1万3062灯が金沢市内)、電動機向け小口電力供給が4,044キロワット(1581台取付)、高岡電灯などへの大口電力供給が4,083キロワットであった。供給増の一方で自社発電所の新設はなかったため、受電への依存度が上昇した。受電先は金沢市営電気のほか富山県の日本海電気・高岡電灯など。加えて傘下の石川電力(1933年5月設立)が坂尻発電所の出力全部(60キロワット)を、高岡電灯傘下の手取川水力電気が白山発電所の出力全部(出力1,470キロワット)を金沢電気軌道に対し供給するようになった。 昭和に入ってからは市内線・市外線ともに路線が新規に建設されることはなかったが、2つの鉄道路線を買収している。一つ目は、1929年(昭和4年)3月11日付で20万円にて金名鉄道から買収した鶴来 - 神社前間の路線である。金名鉄道は手取川上流側から鶴来へ向かって順次路線を延伸し、1927年12月に神社前 - 鶴来間を完成させて金沢電気軌道石川線への接続を果たしたが、経営難から最終開業区間を売却した。買収路線の2つ目は北陸本線寺井駅(現・能美根上駅)と鶴来を結ぶ能美線で、1939年(昭和14年)8月1日付で68万5561円1銭にて能美電気鉄道から買収した。同線も鶴来駅にて石川線に接続しており、経営主体の統合により無駄を省き利便性を向上する目的から統合が実施された。 鉄軌道事業は1930年から1932年にかけての不況期には大きく成績が落ち込んだ。1932年4月から6月にかけて金沢市主催の「産業と観光の大博覧会」が開催された際には乗客が増加したが一時的であり、鉄軌道事業の収益だけでは配当できないほど経営不振となった。一方で施設の改善は不況期にも進められ、特に不況で造船所も経営不振にあるのを活かし市内線最初の半鋼製電車を安く調達、投入した。
※この「昭和期の事業展開」の解説は、「金沢電気軌道」の解説の一部です。
「昭和期の事業展開」を含む「金沢電気軌道」の記事については、「金沢電気軌道」の概要を参照ください。
- 昭和期の事業展開のページへのリンク