昭和期〜歓楽街としての南銀座〜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 04:54 UTC 版)
「大宮南銀座」の記事における「昭和期〜歓楽街としての南銀座〜」の解説
1945年(昭和20年)の敗戦以後、東口一帯が商業地域として成長するとともに、高度経済成長期以降の中心地としては、西武百貨店を皮切りに大型店が出店した駅北側の大宮銀座通りが主体となり、氷川神社参道から旧中山道に移行した。1970年(昭和45年)に中央通り沿いの南銀座通り入り口付近にかけての大宮郵便局跡地に髙島屋が開業する。駅南側は次第に百貨店街の「裏側」的な色合いが濃くなり、それまでの住民対象の商店街から駅利用客や大宮競輪、百貨店、「大宮」という地名の由来となる武蔵の国一の宮の「大宮氷川神社」詣でなどの帰り客なども対象とした飲食店中心の繁華街へと姿を変えていった。特に歓楽街としてのイメージの定着は当時マスコミでキャバレー太郎の異名をとった福富太郎によるキャバレー「大宮ハリウッド」が東京銀座店に続いて大宮南銀座に開店し、また他のキャバレーも追随し相次いでこの地に開店したことで大宮南銀座がキャバレー全盛時代を迎えたころより、神奈川の川崎、千葉の船橋等と並んで「夜の街」としての埼玉の大宮「南銀座」の名が広く知られるようになった。
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