昭和期の新興コンツェルン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 22:19 UTC 版)
上記の財閥と異なり、創業者には技術者出身が多い。このため、重工業中心で「芋づる」方式と呼ばれる、企業間において関連性の強い生産関係を持つ。既存の財閥では貧弱な化学産業を中心に発展していった。海外での市場を狙い、日産コンツェルンは満州で、日窒コンツェルンは朝鮮で鉱山などの事業を展開し、現地社会にも強い影響を残した。また、理研コンツェルンは理化学研究所の活動資金調達のために成立したユニークなコンツェルンであり、同族支配が行なわれず、同研究所の開発・発明した技術を駆使した他、「農村工業化」などを打ち出して新潟県柏崎市などで地方の工業化につとめた。 逆に、既成財閥に較べて金融部門が弱いため、第二次世界大戦中には経済統制と既成財閥系の銀行団によって侵食されて、財閥解体前に実態を失ったコンツェルンも多かった。 なお、経営政策の面では、理研コンツェルンを除いて既存の財閥同様に同族運営がなされており、その点で「新興財閥」という言い方もある。 理研コンツェルン 日産コンツェルン(鮎川財閥) 森コンツェルン 日窒コンツェルン(野口財閥) 日曹コンツェルン
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