明治天皇御製の公開とは? わかりやすく解説

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明治天皇御製の公開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 17:06 UTC 版)

明倫歌集」の記事における「明治天皇御製の公開」の解説

明治天皇は歌を詠むのが趣味であったが、当初あまり上手いとはいえず、むしろ皇后詠歌のほうが優れていた。それが1904年に始まる日露戦争を境に、天皇詠歌急速に進歩したといわれる。そしてその頃から天皇御製新聞多く載るようになった新聞載る御製教訓的なものが多かった御製新聞社漏洩していたのは、御製に点を付けていた御歌所長高正風であった天皇自分の歌が勝手に公開されることを苦々しく思い高崎呼んで軽く咎めた高崎は「御製世間に漏らすということは世道人心にために非常によいことと存じまして致したことでございます」と開き直った世道人心によいという点に関しては、明倫歌集もまた世道人心有益な和歌集めたものと考えられていた。かつて徳川斉昭明倫歌集自序において、道徳教えというものは素直に詠んだ歌の中に自然と現われるものだと言っていた。 当時日本在住していた英国人アーサー・ロイド明治天皇御製見て感激し、それらを選んで英訳して各国元首贈呈した米国大統領セルドア・ルーズベルトは明治天皇御製見て、平和を熱望する明治天皇博愛精神感激し日露戦争調停することを決心したといわれる。かつて徳川斉昭は、明倫歌集自序において、古の道を歌い選んでいけば、いずれ外国人にも我が国の道を教えることにもなるだろうと期待していた。 日露戦後明治末期1910年元首相大隈重信刊行した国民読本』は、明治天皇御製編成根本とし、小学校卒業者対象に、日本国体国民性明らかにし、また忠君愛国意義示して日本国民理想顕明することを企図していた。同書国民教育教材として明治天皇御製体系的に用いた最初の例であった同書掲載され御製もまた高崎正風漏洩したものであった天皇高崎詰問した高崎はまたも開き直って御製まことに尊くめでたいこと」、「国民をして常に拝誦しむれば風俗正し道徳を進むるに大効あるべき信じたること」、そして「ただ国家為に謀りたること」を陳述したこの年明倫歌集池辺義象監修により評釈加えて振り仮名付して出版された。学校に遊ぶ児童少年青年向けて校外読み物として編纂された。明倫歌集の歌を暗唱できるようになれば、品格養い行状善く嗜好高める点において一生の利益になると謳われた明治天皇1912年崩御した。その後明治天皇歌集編纂することになった当初宮中御歌所寄人らが編纂委員となって御製選考していたが、1917年11月佐佐木信綱池辺義象編纂委員加わった2人それぞれ明倫歌集出版校註監修行った人物であった。やがて編纂終わり1922年に『明治天皇御集』が公刊された。これを公刊するに至った理由は「実に国民にとりて修養の鑑」であり、「教育上も極めて有益であるからだとされた。明治天皇御集編纂委員佐佐木信綱によると、徳川斉昭明倫歌集編纂したのも人倫道徳明らかにして修身の鑑とするためであった大正末期1925年明倫歌集新註作者索引とを付して出版された。徳富蘇峰がこれを紹介した

※この「明治天皇御製の公開」の解説は、「明倫歌集」の解説の一部です。
「明治天皇御製の公開」を含む「明倫歌集」の記事については、「明倫歌集」の概要を参照ください。

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