明治天皇崩御と御遺蹟調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:20 UTC 版)
「明治天皇聖蹟」の記事における「明治天皇崩御と御遺蹟調査」の解説
1912年7月に明治天皇が崩御した。聖蹟を保存したいという国民的熱望がただちに起った。御陵が京都伏見桃山に決まり、明治神宮が東京代々木に創建されることになると、各地方に明治神宮の分社をつくって日々参拝したいという熱望が続出した。しかし明治神宮の地方分社は許されなかったので、せめてこれに代えて各地の明治天皇聖蹟を永久に保存し、聖徳を追慕したいという議が起った。明治天皇の史跡を国家事業にするという話もあったが、経費の問題などもあり進捗しなかった。 この間、史蹟名勝天然紀念物保存協会の戸川安宅は明治天皇の史蹟の調査に着手する。明治天皇崩御の3か月後には早くも各道府県へ調査依頼を発出した。同年冬には東京府における明治天皇史蹟調査についてに東京市長から委嘱を受けた。翌1914年、編集発行人として協会の月刊機関誌『史蹟名勝天然紀念物』を発刊し、1巻1号から「先帝御遺蹟しらべ」という記事を連載した。同5号から記事名を「明治天皇御遺蹟」に改題し、1917年まで連載した。 1919年4月10日、史蹟名勝天然紀念物保存法が制定される。従来の古社寺保存法にカバーされない史蹟などに関して、地方中間層らが下から保存運動をおこし、それを掬い上げるかたちでこの法律が制定された。戸川安宅はこの年をもって『史蹟名勝天然紀念物』の編集発行人を辞めた。『史蹟名勝天然紀念物』は翌1920年に休刊し、1921年から1923年5号まで国府種徳が編集発行人を務めたが、やがて廃刊となった。1923年に関東大震災がおこり、多くの史跡が焼けた。翌1924年に初代編集発行人の戸川安宅が死去した。この間、1926年10月20日に広島大本営が国の史蹟に指定された。
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