明治天皇へのガーター勲章授与に尽力
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「ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス (第5代ランズダウン侯爵)」の記事における「明治天皇へのガーター勲章授与に尽力」の解説
日露戦争が1905年に勃発した。戦況は日本に有利に進み、同年1月には旅順が陥落するに至った。ランズダウンは直後の1月16日にバルフォア首相に宛てた書簡の中で「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}明治帝(ミカド)にガーター勲章を授与すべきだと思う。日英同盟も延長した方が良い」との提案を行っている。5月の日本海海戦における日本の勝利後にも再度進言を行い、これを受けて宮中側も国王の側近の第2代イーシャー子爵(英語版)が国王秘書官と叙勲に異議ない旨を話し合っている。こうした流れを経て、国王エドワード7世は10月8日に叙勲の決定をランズダウンに伝えた。翌年、コノート公アーサー王子を団長とするガーター勲章授与使節団が日本に派遣され、明治天皇は晴れてガーター騎士としての名誉を得ることとなった。
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