明代の刊本とは? わかりやすく解説

明代の刊本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

西遊記の成立史」の記事における「明代の刊本」の解説

明代後期刊本はいずれも世徳堂本系統から出ている。 世本以降主な本系刊本としては、明代末期成立した李卓吾先生批評西遊記』(李卓吾本)がある。序文若干変化がある以外、本文はほぼ世徳本と同様であり、李卓吾註釈挿絵200添えられているのが特徴である。李贄(字は卓吾、1527年 - 1602年)は陽明学者で、童心説偽り汚れのない心を尊ぶ)で知られ、『水滸伝』や『三国志演義』など通俗小説高く評価していた。経書史書詩文を最高としていた儒教的価値観から逸脱していたため、迫害され獄中自殺する。しかし出版業界では通俗文学を評価した李卓吾名声高く昼などの文人李卓吾名を借りて小説批評をつけ、売りにすることが流行した『西遊記』李卓吾本も同様である。 一方、簡本系においては、『唐三蔵出身全伝』(楊致和本、略して楊本)や『唐三蔵西遊伝』(鼎臣本、略して本)などが、世徳堂本よりやや遅れて登場したとみられる。楊致和本は4巻40則で、世本をかなり乱暴に省略した簡本である。一方鼎臣本は10巻67則で、前半部は比較省略の度が低く後半に行くに従って記述簡略化する竜頭蛇尾構成で、単純な簡本とは言えず、前繁後簡本ともいうべき変則的な刊本である。このほか簡本系には万暦31年1603年)刊『新鐫全像西遊記伝』20巻表題に「清白堂楊閩斎行」とあるため、清白堂本と呼ぶ。内閣文庫)、崇禎4年1631年)刊『新刻増補批評全像西遊記』(序末に「閩斎堂楊氏居謙校」とあることから閩斎堂本と呼ぶ。旧奥野信太郎)などがある。 かつて魯迅は、呉承恩が楊致和本を元に文繁本を書いたとする説を唱えていた。すなわち先に簡本があり、それに文章を挿増して繁本としたという説で、胡適らはこれを強く批判したその後鄭振鐸鼎臣本を調査し、楊本・本はともに"呉承恩本"を簡略化したものであり、さらに本は前半呉承恩本、後半を楊本を参考にしており、呉承恩本→楊本→本の順に成立したとする説を唱えた刊本形式などから、鄭振鐸は楊本・本を隆慶1567年 - 1572年)・万暦1573年 - 1620年年間刊行と見るが、世徳堂本との前後関係不明とする。ところで、上記版本のうち本にのみ、他の明刊本には見られない陳光江流和尚」(後述)が挿入されていることが大きな特徴となっている。そこで太田辰夫江流和尚をはじめ前半部の内容使用される字句が、世本よりも古い本の内容反映している可能性が高いと指摘本は前半部を『西遊釈厄伝』、後半部は楊本を利用して作られたとし、世本以前祖本として『西遊釈厄伝』を想定する根拠とした(なお太田は楊本は魯王府本依拠したとする)。一方磯部彰は楊本は清白堂本と版型・図像形式類似することから、楊本が依拠したのは清白堂本だとする。このように明代刊本位置づけには諸説あって、未だ系統関係明らかでない

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