明仁天皇との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:56 UTC 版)
日本への移入は、1960年に当時の皇太子明仁親王が外遊の際、アイオワ州グッテンバーグ(英語版)で捕獲されたミシシッピ川水系原産の15尾をシカゴ市長から寄贈され、日本に持ち帰った15匹が最初である。 その15匹は水産庁淡水区水産研究所が食用研究対象として飼育した後、1966年に静岡県伊東市の一碧湖に放流した。このことは、2009年に三重大学生物資源学部が発表したミトコンドリアDNAの解析結果により、全都道府県の56か所で採取した1,398体全ての標本の塩基配列が、アメリカ13地点で採取したサンプルのうちグッテンバーグで採取したものと完全に一致したことで証明された。 食用としても釣りの対象としても利用価値が低いブルーギルが日本国内に広く拡散したことについては、1980年代以降のバス釣りブームの際、バス釣り業界の関係者や愛好家の手により、ブラックバスの餌と称して各地の湖沼から別の湖沼へ放流されたものが繁殖し、日本中に分布を広げるに至った、という指摘が2000年代にあったが、根拠となる資料は充分ではなかった。 2014年に発表された研究では、1960年代から1970年代前半にかけての状況を、当時の内水面漁業や釣り関係の文献で詳細に調査しており、オオクチバスに付随する形ではなく、ブルーギル単独の野外放流や逸出が明らかになっている。この研究では、水産試験場の関わったケースとして、大阪府の水産試験場がため池への放流試験を行ったこと、滋賀県の水産試験場が関与する中で琵琶湖にブルーギルが生息するようになった、と水産試験場職員が当時示唆していることが示されている。さらに、釣り具メーカーや当時発行されていた釣り雑誌の主幹であった釣り人と水産行政関係機関が、共に関わる放流があったことも示されている。また、これらの放流や逸出は、先行研究での言及よりも広い範囲とされている。 移入経緯により、「ブルーギルはおめでたいプリンスフィッシュである」と称されて各地に放流されたという記録がある。ブルーギルが外来種として深刻な問題を起こしていることについて、上皇明仁は即位後の2007年第27回全国豊かな海づくり大会において「ブルーギルは50年近く前、私がアメリカから持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したもの。食用魚として期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」と発言した。
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