旧観自在王院庭園とは? わかりやすく解説

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旧観自在王院庭園

名称: 旧観自在王院庭園
ふりがな きゅうかんじざいおういんていえん
種別 名勝
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 西磐井郡平泉町
管理団体
指定年月日 2005.03.02(平成17.03.02)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 観自在王院は、奥州藤原氏政権中枢として12世紀繁栄誇った平泉浄土伽藍である。12世紀半ば奥州藤原氏第二代基衡の妻が自らの居所を寺としたのが最初で、その後変転経て元亀4年(1573)の一揆伴って発生した火災により大阿弥陀堂及び小阿弥陀堂などの堂宇が完全に焼失したとされている。
 昭和29年から31年度に実施され学術発掘調査及び昭和47年から52年度に行われた整備事業に伴う発掘調査により、敷地規模敷地内配置され建物及び庭園等の諸施設について概略判明した。幅約30m(100尺)の南北道路を介して西側毛越寺接し敷地の北に寄せて阿弥陀堂・小阿弥陀堂などの主要建築群が建ち並び、南半部に広大な池が展開する。池の外周草止め護岸ところどころに礫をあしらい大小景石配して随所見どころのある汀の景を造るまた、池中中央やや東寄りには盛土により中島造成している。池の毛越寺境内北東隅に位置する弁天池水源とし、南北道路横断して観自在王院敷地内引かれた後、緩やかに蛇行する遣水経て池へと導かれる。特に、遣水が池に流れ込む位置には大きな石を伏せるようにして組み雄大な滝の景を構成している。簡素ではあるが動的な水の姿を表した流れ部分と、広々と静止する池の水面、そして両者接点躍動感のある滝の姿を表現したのである昭和48年から53年度に庭園跡を含む敷地全体修復整備工事が行われ、旧観自在王院庭園として現在見る庭園景観再現された。
 平泉には、観自在王院のほかに毛越寺無量光院など顕著な価値有する浄土伽藍遺跡存在する毛越寺第二代基衡が造営した薬師如来本尊とする伽藍で、金堂庭園中島)・背後の塔山がそれぞれ南北に並ぶのに対し無量光院第三代秀衡が造営した阿弥陀如来本尊とする浄土伽藍で、阿弥陀堂庭園中島拝所)、背後金鶏山東西方向軸線上に明確に並ぶ配置構成を採る。毛越寺鎮護国家祈願して造営され伽藍であり、無量光院当初から西方極楽浄土象徴して造営され伽藍であったが、観自在王院途中で住宅喜捨して伽藍改めたという造営の経緯影響したためか、西方極楽浄土象徴する伽藍ありながら伽藍軸線東西方向ではなく南北方向定められている。
 また、観自在王院庭園は、毛越寺庭園比較すると池の護岸など庭園意匠構造全般的に簡素だという点においても特徴がある。毛越寺庭園遣水全体を礫及び景石で覆うのに対し観自在王院遣水優美に湾曲する意匠ではあるが、ごくわずか石材のみを用いたほとんど素掘りに近い構造を成す。
 昭和48から53年度の修復整備工事は、このような庭園特質を十分踏まえその本質的価値顕在化目的として実施されたものである
 以上のように、旧観自在王院庭園は平泉造営され浄土伽藍庭園中でも独特の意匠構造をもち、それらの系譜上の位置付けのみならず日本庭園史上における学術的価値極めて高い。庭園全体地割及び景観構成のみならず遣水・滝石組汀線等の細部意匠構造においても芸術上、観賞上の価値高く、よって名勝指定し保護図ろうとするものである
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