系譜上の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 16:58 UTC 版)
史料には、彦五郎は氏輝の弟と記載されている。彦五郎の生母を明記した史料はないが、彦五郎が後継者として考えられていることから、氏輝と同じく寿桂尼と推定されている。従来は彦五郎を次男とするのが通説であった。 しかし、『蠧簡集残篇』所収「今川系図」に玄広恵探を次男と明記されていることから異説が出されるようになった。この系図を天文年間後期の作成と評価した黒田基樹は彦五郎は恵探の弟、すなわち三男であるとする説を唱えている。一方、大石泰史は太原雪斎の三十三回忌の際に作成された「護国禅師三十三回忌香語写」の記述より義元が三男と確定出来るため、彦五郎は恵探・義元2人の弟、すなわち四男であるとする説を唱えている。 また、これまでも氏輝が生来病弱であったため、不測の事態があった場合の後継者として「彦五郎」の名を与え、出家をさせずに駿府で育てていたと言われてきたが、黒田・大石・浅倉らはもう一歩論を進めて、義元は実は側室の子で彦五郎が正室・寿桂尼の2番目の男子であるとする可能性を唱えている。
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