日車型ガソリンカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:22 UTC 版)
戦前のガソリンカー製作では黎明期の「軌道自動車」(井笠鉄道ジ1形)での参入以降、日本車両製造本店と東京支店が日本国内市場において大きなシェアを占めていた。 基本的には本店が中部地方以西、東京支店が中部地方以東の各鉄道向けを担当したが、例えば耶馬溪鉄道キハ100形(東京支店製)のように本店担当地域に東京支店製車両が納品されたケースや、その逆のケースも存在する。 戦前期においては名古屋の本店と東京支店の間では設計手法に大きな差異が存在しており、特に車体設計については本店が同時期設計の電車に準じた明朗かつ軽快なデザインの、外部に現れるリベット本数の少ない構造としていたのに対し、東京支店は愛好者の間で「戦車形」などと呼ばれる無骨で鈍重なデザインで、外板に打たれたリベット本数の多い構造を採用していた。 この内、本店では、両運転台式気動車の開発過程で若干の迷走も見られたが、1920年代末には鉄道省に先駆けて軽量車体を備える機械式18m級ガソリンカーを製作し、簡易式連結器や軽量自動連結器、形鋼を組み合わせた軽量で乗り心地のよい軸ばね台車、それに逆転機と最終減速機を一体として台車枠とリンクで結んで転動を抑止する簡潔な駆動システムを独自開発するなど、技術面で業界をリードする体制を確立、それらを組み合わせた標準化設計に従う低コストかつ良質の車両を、新規開業線や蒸気動力からの転換を図る地方私鉄、あるいは各社に迅速に供給することで、大手を含む他の車両メーカー各社を圧倒した。 さらに、鉄道省が設計したキハ36900形(=キハ41000形)・キハ40000形・キハ42000形の3形式も、前述の各機構をはじめとする各部について日本車両製造の標準設計を鉄道省の標準規格に適合させる形で基本設計を実施されている。また、戦後の国鉄が設計した液体式気動車各形式においてもDMH17系エンジン搭載各形式については、特に駆動系についてはそれらの設計が踏襲されたため、最大で5,000両以上を数えた日本の国鉄制式気動車群の大半は、この日本車輌製造の技術を標準設計として採用していたことになる。 芸備鉄道の各車→加悦鉄道キハ51・紀州鉄道キハ40801など 関東鉄道キハ82 筑波鉄道初代キハ300形→南部縦貫鉄道キハ103 江若鉄道の気動車各形式→C4(キニ4)・C9(キニ9)形(いずれも川崎車輌との競作)など 加悦鉄道キハ101 中国鉄道の気動車各形式(加藤車両との競作) 台湾総督府鉄道キハ100 - 二度の車体更新を経て台湾鉄路管理局35DR2100型となった。
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