日本との和解拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:39 UTC 版)
「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の記事における「日本との和解拒否」の解説
慰安婦問題解決のため、日本政府によって設立されたアジア女性基金が日本全国に寄付金を募り、1997年1月から元慰安婦へこの寄付金の支給を開始した。しかし、挺対協はこれを日本政府からの支給ではないとして拒否。寄付金を受け入れた元慰安婦らは、韓国政府・支援団体・日韓市民団体など基金反対派から批判に晒され、支援対象外とされた。寄付金を受け取った元慰安婦のうち7名は実名報道されたため、以降日本側は基金を受け取りたい慰安婦らのために特定されないように配慮し、最終的に61名に支給した。 元慰安婦の沈美子をリーダーとする33名の元慰安婦たちは、挺対協は支援ではなく政治活動が目的だとして度々批判し、別の慰安婦支援団体「世界平和無窮花(ムクゲ)会」を組織した。2004年3月13日、元慰安婦らは貧しい境遇にあったのに、お金を持っていくことをおかしいと感じていた沈美子(2008年死亡)・ソクら13人の元慰安婦は、挺対協とナヌムの家に対して「募金行為及びデモ禁止の仮処分申請」を申立てる裁判を起こした。目的は、運動の資金源である募金を止めさせることと、日本大使館前で行われる水曜集会を止めさせることであった。2008年に沈が亡くなると、 挺対協は沈美子が元慰安婦ではないと主張するようになった。2016年にはソウル南山に設置された「慰安婦記憶の場」にある慰安婦被害者247名の名前が刻まれた造形物からも沈美子は排除されている。 2012年、当時の野田政権と李明博政権が協議していた慰安婦問題の解決策について、外交安保主席秘書官だった千英宇は、挺対協代表だった尹美香に説明し、せめて反対はしないでほしいと求めたところ、尹美香の表情はとても困惑している様子であり、「ああ、挺対協と元慰安婦の利害関係が違うこともあるのだ。この解決法は元慰安婦にとって悪いことではないが、挺対協としては、仕事が無くなるのだから組織を閉める準備しろという死刑宣告と同じなのだ。尹前理事長が喜ぶと私は勘違いしていた。」と語っている。 2014年、韓国正義党による村山富市元総理の韓国招請に対して、村山内閣で女性のためのアジア平和国民基金を発足させたことを問題視し、「当時、被害者らに国民基金を受領させるため、ブローカーを雇い脅迫性の電話など、さまざまなことが行われ、今でもこれは日本政府にすべきことをしたという着実な弁解の種になっている」 「何よりも戦後、貧しい生活を続けていくほかはなかった被害者に対して日本軍『慰安婦』という重大な人権犯罪を金の問題に転落させる、とても悪い例になってしまった」と批判して、反対の姿勢を示した。 2015年の日韓慰安婦合意では、当時存命だった元慰安婦47人の内、「ナヌムの家」の居住者ら12人中11人が合意を拒否した。残りの元慰安婦全員は合意案を受け入れ日本からの10億円で設立された「和解・癒やし財団」からの1人1億ウォン(約900万円)の支援金受け取りを希望。遺族199人には各2000万ウォン(約180万円)を支給する事業がスタートした。ナヌムの家の1人は拒否に反対し、秘密裏に合意金を受け取った。韓国では慰安婦たち本人よりも挺対協のような慰安婦関連市民団体やそれに従う少数派慰安婦が優遇されている。太平洋戦争遺族会会長は「挺対協はこれまでアジア女性基金を潰し、和解・癒やし財団を解散に追い込むなど、常に慰安婦問題の解決への道を妨げてきました。」と批判している。 元女性運動家でアンチフェミニストと称するオ・セラビ氏は、慰安婦活動がまるで巨大な産業になってしまい、慰安婦問題が本当に解決されたら、正義連の存在価値は消えるから、正義連が実質的に慰安婦問題解決を望んでいないと主張した。
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