日本との係わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:36 UTC 版)
鵝鑾鼻は日本統治下において第二次世界大戦前は、捕鯨基地であることや日本最南端の風光明媚な土地として広く知られていた。その為、上記記述にあるとおり切手や絵葉書が作成されていた。 鵝鑾鼻は第二次世界大戦時には、高雄から東南アジアの前線へ向かう輸送海路であり、バシー海峡からフィリピンやシンガポールなどへ輸送船団が頻繁に往来していた。その為アメリカ海軍の潜水艦などと戦闘になると、ほぼ撃沈されたという史実があり、第二次世界大戦の日本の敗戦の原因の根拠の一つとして論評されている。バシー海峡で多くの戦没者が発生していることと、猫鼻頭の西は台湾海峡で鵝鑾鼻の東は太平洋であり、バシー海峡は西の猫鼻頭の岬と東の鵝鑾鼻の岬のわずか約10kmの範囲でしか台湾側と接しておらず、フィリピンが鵝鑾鼻寄りであることなどから戦没者遺族が度々訪れる地でもある。
※この「日本との係わり」の解説は、「鵝鑾鼻」の解説の一部です。
「日本との係わり」を含む「鵝鑾鼻」の記事については、「鵝鑾鼻」の概要を参照ください。
- 日本との係わりのページへのリンク