旅客化へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:15 UTC 版)
「名古屋臨海高速鉄道あおなみ線」の記事における「旅客化へ」の解説
当初、名古屋市港区南部方面への鉄道整備は名古屋市営地下鉄東山線を延伸することが考えられていたが、西端は高畑駅まで開業したにとどまり、以南は近傍を通る既設の東海道本線の貨物支線である西名古屋港線を活用する計画となった。国鉄分割民営化の際には、将来の旅客線化のために東海旅客鉄道が西名古屋港線を第一種鉄道事業者として承継した。 西名古屋港線は1980年代に入るとトラックの台頭などにより貨物輸送の減少が顕著になり、1982年11月15日国鉄ダイヤ改正時点で1日2往復の設定があった貨物列車も、国鉄貨物輸送の大転換が行われた1984年2月1日国鉄ダイヤ改正以降は1日1往復のみに削減され、国鉄最末期の1986年(昭和61年)時点でも1日1往復の貨物列車が走るのみとなっていた。 こうした中で西名古屋港線の旅客化計画が持ち上がり、1986年(昭和61年)4月2日には、国鉄、愛知県、名古屋市、中部運輸局、第5港湾建設局、名古屋港管理組合の6者で構成される「西名古屋港線旅客化計画研究会」が旅客化計画の検討に関する最終結論を発表した。 この最終結論では、名古屋駅を起点に汐止町(仮称)までの12.3kmに7駅(金城ふ頭までの場合は15.7kmに9駅、どちらも始発駅と終着駅を含む)を設置し、列車本数は1日片道70本(ただし、通勤通学時には4両編成を15分間隔、その他の時間帯は2両編成を30分で間隔運転)、全線を単線非電化で建設することが考えられた。また、運賃は市営地下鉄並みで開業10年目で累積赤字を解消することを目標とした。 路線の建設案は以下の通りである。 括弧内は工事費等の必要資金(当時の金額)である。 現状の線形のまま地平路線で建設する案(汐止まで:約75億円、金城ふ頭まで:115億円) 踏切部分のみ高架化して建設する案(汐止まで:約110億円) 全線を高架化して建設する案(汐止まで:約140億円、金城ふ頭まで:約215億円) これらは地下鉄の建設と比較して大幅に少ない建設費であることがメリットであった。実際、当時建設が進められていた地下鉄6号線(名古屋市営地下鉄桜通線)は1km当たりの建設費は約220億円であった。そのため、建設費は地下鉄工事の約10分の1程である<。 当初開業時期の目処は1988年(昭和63年)度、高架化案では1989年度以降とされた。 この報告の試算では、輸送密度が当時の名古屋市営地下鉄名城線(現在の名古屋市営地下鉄名港線)の金山 - 名古屋港間と同程度である、名古屋 - 汐止間28,400人、名古屋 - 金城ふ頭間25,200人だった場合、全線を既存の線形のまま単線非電化の地平路線で建設し、市営地下鉄並みの運賃で営業すると開業3年目で単年度黒字に転換し、開業11年目で累積赤字を解消すると見積もられた。 しかし、当時は関係機関によって思惑が異なるなど事業化までのハードルが多く、臨時列車の運転により旅客化の機運も高まったものの、結果として着手されないまま国鉄分割民営化を迎え、そのままこの計画は一度立ち消えとなった。そのため実際に旅客化されるまで十数年待つこととなった。 その後、1992年(平成4年)の運輸政策審議会答申第12号で名古屋 - 稲永 - 金城ふ頭間が2008年(平成20年)までに整備することが適当である路線として位置付けられ、事業主体として名古屋市を筆頭に愛知県、名古屋港管理組合といった公共団体、日本政策投資銀行、東海旅客鉄道を始めとする民間企業複数社の出資により第三セクター会社の名古屋臨海高速鉄道が1997年(平成9年)に設立された。同年に第一種鉄道事業免許を取得し、1999年(平成11年)に着工、2004年(平成16年)10月6日の名古屋 - 金城ふ頭間開業を迎えることになった。 なお、審議会では名古屋貨物ターミナル駅 - 笠寺駅 - 大府駅間のバイパス線として建設が行われたものの、国鉄末期に貨物輸送量の激減で工事が凍結された東海道本線貨物支線(南方貨物線)の旅客化も検討されたが、こちらは実現せず、2002年(平成14年)よりすでに完成していた高架橋の撤去・跡地の売却が進んでいる。
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