新進ファルス作家へとは? わかりやすく解説

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新進ファルス作家へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「新進ファルス作家へ」の解説

1931年昭和6年1月に『言葉第2号に、ナンセンス的な処女小説木枯酒倉から」(副題は「聖なる酔つ払ひ神々魔手誘惑された話」)を書き島崎藤村褒めているという話を聞いて小説家としての資質自信を持つようになる。『言葉』を2号廃刊後、5月に『青い馬』と改題して岩波書店から新創刊し創刊号ドビュッシー風の小説ふるさと寄す讃歌」(副題は「夢の総量空気であつた」)、随筆ピエロ伝道者」、翻訳ステファヌ・マラルメ」(ヴァレリー)、「エリック・サティ」(コクトー)を発表した。「エリック・サティ」は葛巻義敏との共訳であった続いて6月、『青い馬』2号散文ファルスとも言うべき「風博士」を発表3号に、新潟県東頸城郡松之山町松之山温泉舞台にした「黒谷」を発表する。この「風博士」を牧野信一から激賞、「黒谷」も島崎藤村宇野浩二にも認められ一躍新進作家として文壇注目された。安吾は、〈私は短篇小説をたつた三つ書いただけで一人前文士になつてしまつた〉と述懐している。次いで9月に「海の」を雑誌文藝春秋』、10月に「博士頽廃」を『作品』に発表し売れっ子作家となり、牧野信一主宰春陽堂の『文科』にも「竹薮の家」を連載した。この作品にも音楽性映像性が見られる。『文科同人には、小林秀雄河上徹太郎井伏鱒二らがいた。 1932年昭和7年3月、『青い馬』は5号廃刊、この最終号には評論FARCEに就て」を掲載し、〈文学全般にわたつての道化〉について論じた3月から京都1か月半ほど滞在し河上徹太郎紹介京大仏文科卒業間際大岡昇平訪ねて独文科加藤英倫、安原喜弘らと知り合い交遊して帰京文学上のことで口論となることのあった牧野信一とは徐々に疎遠となる。6月「母」を『東洋文化』に発表8月青山二郎行きつけ京橋酒場ウヰンザアで、加藤紹介美人女流作家矢田津世子知り合い交際が始まる。この酒場中原中也との交友始まった12月には鎌倉療養中の姪・村山喜久(姉・セキの娘)を見舞い、詩画集小菊画譜」を作り、〈は娘の娘也と叔父安吾 世に推して憚らず〉などの健康回復祈願を書く。1933年昭和8年3月田村泰次郎井上友一郎河田誠一菱山修三矢田津世子らと同人誌創刊参加しマニフェスト新しき文学」を掲げ5月から「麓」を連載するが、『』は第3号以降刊行難しくなり、6月矢田と共に脱退した11月小説論「ドストエフスキーバルザック」を『行動』に発表

※この「新進ファルス作家へ」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「新進ファルス作家へ」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

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