新進党、無所属
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1995年2月、父親の平井卓志参議院議員が自民党を離党し、新進党に入党。 1996年10月20日、第41回総選挙が実施。香川1区は、藤本孝雄(旧香川1区現職、自民党)、真鍋光広(旧香川1区元職、自民党から民主党に乗り換え)、平井(新進党)、加藤繁秋(旧香川2区元職、社民党)、共産党新人ら5候補が立候補する乱立選挙となった。比例重複をしなかった平井は次点で落選した。 同年11月、香川県選挙管理委員会は前年分の政治資金収支報告書を公表。四国新聞社と西日本放送、その関連企業が父親の平井卓志参議院議員と平井の資金管理団体などに計約1,280万円を献金していたことが明らかとなった。公選法上は問題ないとされるが、メディアの中立性を脅かす行為との声が上がった(後述)。 2000年1月、平井は四国新聞社の役員を退任。 同年6月13日、第42回総選挙が公示される。平井は香川1区から無所属で立候補。公示日直前、藤本孝雄の陣営は「平井陣営に情報が洩れる」として、西日本放送と四国新聞社に対し、公示後の事務所内での取材を自粛するよう申し入れた。藤井は選挙事務所入り口に「(両社の)関係者は立ち入りはご遠慮下さい」と大書された紙を張った。平井の選挙対策本部では、元西日本放送役員の高岡哲夫県議が本部長、四国新聞社の岩田清祐・前副社長が事務局長を務めた。関連企業の社員、家族に後援会の活動を求めるなど、藤井らの陣営から「ぐるみ選挙」と指摘された。公示日の6月13日、西日本放送労組は、平井の父で社長の平井卓志に対し、「平井は西日本放送役員を辞任する」「藤井に取材拒否を撤回するよう申し入れる」など4項目を要求した。同年6月25日、総選挙実施。平井は無所属ながら自民党加藤派の支援を受けたことに加え、民主党・自由党が公認候補を擁立しなかったこともあり、自民党公認の藤本や社会民主党公認の元職・加藤繁秋らを破り初当選した。 当選後は森田健作が代表世話人を務める21世紀クラブに入会[要出典]。 同年11月の第2次森内閣不信任決議案をめぐる加藤の乱では不信任案に反対票を投じた。
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