教皇就任までとは? わかりやすく解説

教皇就任まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 07:17 UTC 版)

シクストゥス5世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇就任まで」の解説

グロッタンマーレ(現マルケ州出身のペレッティは貧し一家出身であった。父は庭師であり、彼自身豚の世話をして生計をたてていた。ただ、当時の人々の生活レベル考えれば、このことは現代のわれわれが考えるほど驚くべきことではない。やがてモンタルトフランシスコ会修道院入り、すぐに説教師弁証家として頭角現した。 1552年ごろ、フランシスコ会保護者でもあったロドルフォ・ピオ・ダ・カルピ枢機卿1500年 - 1564年)やギスリエリ枢機卿(後のピウス5世)、カラファ枢機卿(後のパウルス4世)の目にとまったことで、その後栄進保障されることになったヴェネツィア教皇巡察師に抜擢されたが、あまりに職務忠実高圧的であったためトラブル頻発し1560年ヴェネツィア政府解任要求されるフランシスコ会総代理を務めた後、1565年にボンコンパーニョ枢機卿(後のグレゴリウス13世)に率いられスペインへの使節団メンバー選ばれた。使節団トレドのカランツァ大司教かけられ異端嫌疑調査向かったのであるピウス5世教皇になるとローマ呼び返されフランシスコ会教皇総代理に選ばれ1570年グレゴリウス13世のもとで枢機卿あげられモンタルト枢機卿呼ばれるうになる。そこで彼は教皇庁職務第一線退いてエスクイリーノの丘ドメニコ・フォンターナによって建てられた、ディオクレティアヌス帝の浴場を見下ろす邸宅整備専念するようになった。やがてペレッティ自身教皇選ばれると、建築事業にもさらに力が入り既存住宅撤去して4つの新街路設置した敷地内には2つ大きな邸宅、「ディ・テルミニ」とも呼ばれたシスティノ宮殿とパラッツェット・モンタルト・エ・フェリチェとよばれた邸宅があった。この工事のために転居余儀なくされた住民憤懣やるかたなかった。1869年教皇のために鉄道がひかれ、駅(テルミニ駅前身)が設置されることが決まったことで、これらの施設取り壊されることになった

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教皇就任まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:08 UTC 版)

アレクサンデル6世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇就任まで」の解説

ロドリーゴバレンシア王国バレンシアシャティヴァ出身である。 ボローニャ大学法学学び伯父引き立てられる形で司教枢機卿教皇庁財務部副院長となったネポティズム呼ばれる親族登用主義はこの時代カトリック教会代表する悪習であった。彼は以後、5人の教皇仕える中で、経験と富、人脈形成していった。 若い頃ロドリーゴにはまだ節度があり、それほど派手な生活をしているわけでもなかった。ただ、当時高位聖職者達のように彼のモラルは堕ちきっており、金と女に情熱傾けていた。この頃には、既に数人の子供が愛人達から生まれていた。1458年には品行悪さピウス2世から叱責されている。 インノケンティウス8世没すると、教皇位は3人の有力候補によって争われることになったロドリーゴ・ボルジア枢機卿、アスカニオ・スフォルツァ枢機卿、そしてジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ユリウス2世)である。当初イタリア人支持得ていたローヴェレが有利と見られていたが、ロドリーゴはアスカニオ・スフォルツァを含む多く枢機卿買収する事に成功した。 こうしてロドリーゴ教皇アレクサンデル6世名乗ることになる。このコンクラーヴェにおける贈収賄広く世に知られ、彼が三重冠を金で買った非難される原因になった

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