教皇宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 08:51 UTC 版)
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- バチカン宮殿
- クイリナーレ宮殿 - 1589年から1870年まで使用された。
- サン・マルタ館
- ラテラノ宮殿 - 4世紀から1309年まで使用された
- オルヴィエート教皇庁 - イタリアのオルヴィエートにある教皇の避難所で幾人もの教皇が利用した。
- ヴィテルボ教皇宮殿 - イタリアのヴィテルボにある1257から1281年の間使用された宮殿。
- ガンドルフォ城 - 13世紀に建築された教皇の避暑地
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教皇宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:08 UTC 版)
「アヴィニョン歴史地区」の記事における「教皇宮殿」の解説
教皇宮殿は、かつてアヴィニョンに教皇庁がおかれていた時に建造された宮殿である。フランス革命期の略奪によって内装は寂しいものとなってしまったが、現存するヨーロッパの中世ゴシック様式建築物の中では最大級を誇る重要なものである。 アヴィニョンはいわゆる教皇のアヴィニョン捕囚時代(1309年 - 1377年)には教皇の座所として機能した。現存する宮殿は、元々アヴィニョン司教の宮城があったローヌ川を望むアヴィニョン北縁に建造されたものである。1335年から1364年までの約30年に及んだ建築は、趣の異なる二つの区画に分かれる。いわゆる旧宮殿(パレ・ヴィュー)と新宮殿(パレ・ヌフ)である。両区画の完成時の面積は11000km2という広大なもので、当時の教皇の収入の多くの部分がつぎ込まれた。 旧宮殿は、教皇ベネディクトゥス12世の命で、ミルポワのピエール・ポワソンが手がけた。厳格なベネディクトゥスは司教宮を取り壊し、回廊や重厚な防壁を備えたより大きな宮殿を造らせた。この宮殿は四つの翼棟を持ち、それぞれから高い塔が伸びている。 クレメンス6世、インノケンティウス6世、ウルバヌス5世の時代に、現在新宮殿として知られる部分の増築が行われた。これはクレメンス6世の命でジャン・ド・ルーヴルが手がけた。そこには教皇の礼拝に使われた長さ52メートル(高さ20メートル)の大礼拝室なども含まれる。その後、インノケンティウス6世とウルバヌス5世のときに二つの塔が作られた。旧宮殿だけの時には開かれていた前庭は、増築された新宮殿が取り囲むような形になったために、事実上の中庭になった。クレメンス6世は華美を好んだため、イタリアからシモーネ・マルティーニやマッテオ・ジョヴァネッティを招いて、内装を豪奢に飾らせた。このため、旧宮殿の飾りのなさとは対照的に、新宮殿はフレスコ画、タペストリー、絵画、彫刻などで華やかに彩られた。 1377年に教皇庁は再びローマに戻ったが、続く教会大分裂期には対立教皇であるクレメンス7世とベネディクトゥス13世が、この教皇宮殿を1408年まで座所とした(ただし、ベネディクトゥス13世は1398年からおよそ10年間、宮殿内に幽閉状態だった)。その後、少しの間、宮殿は対立教皇の手にあったが、1433年にローマ教皇庁の財産となった。 宮殿はその後もおよそ350年にわたり、周辺のアヴィニョン市やヴナスク伯領とともに教皇庁の管理下にあった。その間、1516年の修復などもあったものの、徐々に劣化していった。フランス革命が起こった1789年には、この宮殿は既に酷い状態になっており、革命派の破壊や略奪が拍車をかけた。その後一部は獄舎に転用されていたが、1791年には投獄されていた反革命派が虐殺され、その死体が旧宮殿のラトリヌ塔に投棄されるという事件も起こった。ナポレオン・ボナパルト(フランス皇帝ナポレオン1世)の治世下でも引き続き獄舎と兵営として用いられていた。最終的に兵営が撤去されたのは1906年のことであり、それまでの間、なおも破壊や略奪にさらされた。 現在は国営のミュージアムとして修復が行われており、大部分は一般公開されている。ただし、長い年月の破壊と略奪の結果、最盛期の様子を伝える当時の調度品などはほとんどが散逸してしまっている。 なお1947年以降は、毎年開催されているアヴィニョン演劇祭のメイン会場となっている。 教皇宮殿(左)と広場 斜め正面から見た教皇宮殿 回廊 大礼拝室
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